Cycling Edge 09: 能登半島(特別編)

前編後編に続いて、同行した3人からいただいた寄稿を特別編として掲載します。

非現実な現実を巡り

文章と写真:志村翔太

瓦礫の山を前に30分くらい佇んでいると、痛みや悲壮感を感じなくなってしまった。

次第に街が映画やアニメーションのワンシーンのように見えた。脳が慣れてしまったのかもしれないし、非現実な光景をフィクションと結び付けて理解することを拒んだのかもしれない。

街は災害の爪痕を刻みながらも限定的に機能していた。喫茶店で美味しい珈琲を飲み、温泉に入り、名物のカレーを食べた。観光客として、部外者として、何の痛みを伴わずに味わい尽くすことが出来る輪島の街に遺された光の部分を楽しんだ。

店から出た時、あるいは施設から出た時にペシャンコになった家々が瞳に映った。それが現実なのか、非現実的なものなのか分からないまま、ただ目の前にあるものを受容する。そしてまた何も感じなくなって、通り過ぎていく。

輪島の朝市地区

能登の色と音

文章と写真:瀬川晃

能登の調査から1か月ほど経過し、帰宅後に見返した写真、同行者らの記録、過去に何回か訪れた記憶の断片、Googleストリートビューによる比較、これらの記録と記憶が入り混じる。自身で撮影した行為は、その場その時、揺れ動いた感情によってシャッターを切り、データへと保存される。同行者の撮影を見返せば、その場その時の記録に付随して自身が写り込んでいる場合があり、他者視点でその場にいた自身の存在が証となる。

隆起した海岸沿いの白茶けた海藻

物見遊山と思われても仕方がないと思いながらも、葛藤しながら勢い能登へと足を向けた。旅立つ数日前、たまたま入った大垣の喫茶店で、震災のボランティアをしていると店主から知らされる。隔週で能登空港まで車を出し、空港を起点にカセットコンロで温めた食事を被災地まで届けているらしい。ますます、何ができるのだろうと突きつけられているように感じながらも、撮影機材を入れて身支度をした。

土砂と倒木によって堰き止められてたまる川の水

修復されつつある新しいアスファルトの濃いグレーと、それ以前の褪せたグレーのコントラストと凹凸を感じながら車を走らせる。ワンボックスに積み込んだ自転車を降ろし、昼下がりの輪島中心部の様子を伺った。焼け跡の朝一通りの一部は剥き出しになり錆びた鉄骨が歪み、道路脇には瓦の破片が誰かの手によって丁寧に寄せられていた。ところどころに集めらたお猪口や徳利などの陶器類には生活の気配を感じずにはいられなかった。

ニュースでは何回も報道されていたものの、目の前にある倒壊したビルの存在は異彩を放っていた。人々の叡智によって切り開いてきた文明が、一瞬にして崩れていく無情さといえようか。焦土と青空のコントラスト、土曜午後の静けさの中、風に揺れる街の気配と、鳥の鳴き声が際立って響いていた。一件ごとに貼られていた建物の危険度を示す貼り紙が、冷酷にもその建物の行末を淡々と判定結果の文字と色で表している。

震災から5ヶ月、264棟が滅失したとする朝市通り周辺の解体が始まると報道された。冬春夏と季節は移り変わるものの、復興のための一歩はようやく始まったばかりだ。

人間界と自然界

文章と写真:和田純平

人は都市に住んでいます。

まずは川が作った平地を見つけて、森を切り開いてお家と畑を作ります。森に住むよりだいぶ快適になります。

そのうちたくさんの人が集まるようになって、車とか電車が走れるように道や線路を整備します。かなり便利になってきました!

それでできた道をロードバイクで快適に走ったりします。

ちょっと道がボコボコして走りにくい状態になったら行政に働きかけたて道を直してもらいます。行政なっとらん!

自然の中で不便だったのが、便利になってそれが当たり前になります。

現代の科学技術はすばらしい!世界は人が制御できるものだってかんじます。

だけど、地球が内部的に持っているエネルギーはずいぶん大きいようです。ちょっとプレートがうごいただけで、人間界は大変なことになってしまいます。

2025年5月25日 輪島市

大変な労力を使って作り上げてきた都市も、お家も壊れてしまいます。

土地も隆起して昨日まで海だった場所も陸地になってしまいます。

2025年5月25日 黒島漁港付近

人間界と思っていたところは本当は自然界のだったようです。この世界には自然界しかないのかもしれません。

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