Cycling Edge 07: 能登半島(前編)

5月下旬に能登半島に赴いた。2024年1月1日に発生した能登半島地震の被災地を自転車で走るためだ。すでに5ヶ月近く経ったにも関わらず、復旧が進んでいないと聞く。報道で取り上げられることも少なくなり、人々の関心は薄らいでいるに思える。そこでまずは出かけてみようと思いたった。筆者も僅かな支援をして以降は忘れかけていたからだ。

今回の参加者は筆者を含めて4人で、途中休憩しながらバンで6時間ほどかけて福井県は志賀町の宿に入る。各自の自転車は3台用と2台用のサイクル・ラックを組み合わせて車載。前輪を付け外しする手間はあるものの、クイック・リリースやスルー・アクスルでの固定は安定している。ライド中はバンが並走するので、運転手交代時の自転車の積み下ろしも簡単。タイヤがパンクした際も対応が楽だった。

バンに積み込んだ4台の自転車

翌朝は宿を出発して輪島の中心部を目指す。まずは志賀原子力発電所。日本で最初の臨界事故を起こして隠蔽して以来、幾多のトラブルを重ねている。2011年の福島第一原子力発電所のメルトダウンと前後して運転を停止していたものの、危険な使用済み核燃料が大量に残っている。今回の地震では被害はなかったのは幸運だったと言うべきだろうか。道路から間近に白白と建屋が見える。

志賀原子力発電所

その後は北上して起伏がある山間部と滑らかな海岸線を走り抜ける。天候良く風も穏やかで、山の緑や海の青が美しい。巌門やトトロ岩などの奇岩が日本海の荒波を伝えている。やがて道路脇の堤防から海岸線が離れ、不自然な様相を呈するようになる。地震で海底が3〜4メートルも隆起したからだ。完全に干上がった黒島漁港には白く乾燥した海藻が付着する岩が露呈している。

輪島の黒島漁港

道路も家屋も次第に被害が目立つようになる。特に伝統的建造物な立ち並ぶ黒島地区は完全に倒壊した建物が多い。傾いた家屋はブルー・シートや補強材などで応急措置がなされている程度で、本格的な補修や撤去は行われていない。人影はまばらで写真を撮っている見学者や立ち話をする人を見かける程度。明るく青い空と目の前の光景のアンビバレントさに心が混乱する。

輪島の黒島地区

ここまでが行程の半分で、以降は半島の内陸山間部を走る。通行禁止や一般車両禁止の道を避けて、県道7号から県道51号を抜け、国道249号へ入るルートだ。この検討には国土交通省や石川県の情報が役立ったものの、単なる画像であることが辛い。GPXなどのデータを提供しないのは何故だろう。フクシマでも痛感したように、此の国のデジタル無能行政が災害復興を妨げている。

能登半島の道路状況

実際の道路状況は路肩の崩落、路面のヒビ割れ、応急措置の段差などが続き、道幅が狭いことも相まって走行環境は劣悪だ。特に県道51号は土砂崩れがひどく、撤去されていない土砂を乗り越える箇所もある。また道路標識も不十分であり、古い注意書きが残されたままだったりする。Garmin Edgeのルート案内が柔軟ではないので、実際にも曲がり角を間違えたのは冷や汗もの。

県道51号

こうして辿り着いた輪島の市街地は地方小都市らしい建物が立ち並ぶ。ここでは特に被害の差が激しいのが印象的。平坦な道路から数十センチもマンホールが飛び出していたり、平穏な街並みの一角が倒壊して道を塞いでいたりする。地震直後に火災が発生した朝市は、瓦礫の焼け野原が区画として際立っている。また、海岸沿いは山崩れで道路が分断されており、港には海底隆起で出港できない漁船が並んでいる。

輪島の新屋小路のマンホール

このあたりもまた復興が進んでおらず、住民らしき人もまばらだ。僅かに小さな重機や何人かのボランティアの人を見かける。撮影や見学をしている地域外から来たらしい人にもたまに出会う。真新しい仮設住宅にも人影はない。総じてゴーストタウンとまでは言えないものの、奇妙に静まり返っており、活気がない。訪れたのは休日だったので、平日であれば復興活動が盛んに行われているのだろうか。

輪島の朝市地区

一方で市街地中心部の「新幹線の家」は震災前よりも異彩を放っている。和やかに迎え入れていただいたご主人によれば、地震による倒壊や破損は当然酷かったそうだ。しかし、皆を笑顔にするために頑張って復旧したと言う。70歳を超えて制作を始め、現在は90歳近い高齢ながらかくしゃくとされている。この一種のアウトサイダー・アートは、復興のあるべき姿を示しているように思える。(後編に続く)

「新幹線の家」(撮影:瀬川晃

コラム:非現実な現実を巡り

瓦礫の山を前に30分くらい佇んでいると、痛みや悲壮感を感じなくなってしまった。

次第に街が映画やアニメーションのワンシーンのように見えた。脳が慣れてしまったのかもしれないし、非現実な光景をフィクションと結び付けて理解することを拒んだのかもしれない。

街は災害の爪痕を刻みながらも限定的に機能していた。喫茶店で美味しい珈琲を飲み、温泉に入り、名物のカレーを食べた。観光客として、部外者として、何の痛みを伴わずに味わい尽くすことが出来る輪島の街に遺された光の部分を楽しんだ。

店から出た時、あるいは施設から出た時にペシャンコになった家々が瞳に映った。それが現実なのか、非現実的なものなのか分からないまま、ただ目の前にあるものを受容する。そしてまた何も感じなくなって、通り過ぎていく。(文責:志村翔太

輪島の朝市地区(撮影:志村翔太

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