BMXグラフィティ 総集編

このブログでは2023年4月21日から毎月21日にBMXグラフィティシリーズを更新してきた。この一連の取り組みはIAMASの修士研究の一環として行われ、修士論文としてまとめられているが、IAMAS図書館でのみ閲覧可能で、気軽に見れない。このブログを通して行ってきた連載を、クリティカル・サイクリングの独自の観点から総括したいと思う。

本ブログのトップページにクリティカル・サイクリングについてがあり、そこにクリティカル・サイクリング宣言がある。この宣言は筆者が修士研究を始める際にとても参考になった宣言である。宣言は、自転車に乗ることの楽しさ、シンプルさ、そして発見の重要性が強調されている。人類が利便性に堕してきたモダニズムからの脱却を促し、バランスの復権を訴えている。BMX Graffitiは、この思想に基づいて都市空間を新たな視点から捉え直し、自転車とグラフィティの組み合わせを通じて創造的な表現を追求してきた。

BMX Graffitiは、BMXの動的なスポーツ性とグラフィティの静的な芸術性を融合させることで、新しい芸術作品を生み出す事を目標としていた。BMXの前輪に取り付けられたスプレー缶からペイントが噴射され、BMXのトリックの軌跡が直接地面にグラフィティとして描かれる。このプロセスは、BMXの身体的な動きとグラフィティの視覚的表現を統合し、都市空間を新しい視点で捉え直す試みだったと言える 。

クリティカル・サイクリングが重視するのは、テクノロジー(技術工学)としての自転車、エスノロジー(民族誌学)としてのシンプルさ、そしてオントロジー(存在論)としてのサイクリングだ。BMX Graffitiは、これらの概念を具現化し、自転車を単なる移動手段ではなく、創造的な表現のツールとして位置づけている。

このように、BMX Graffitiはクリティカル・サイクリングの精神を体現し、自転車に乗ることの楽しみ、シンプルさ、そして発見的な側面を探求するとともに、都市空間における新たな創造的な表現を追求してきた。

最終的なBMX Graffitiになるまでに、かなりの習作シリーズがある。仮にこの連載とクリティカル・サイクリング宣言が無ければ、中途半端で満足いかない作品になっていただろうと考える。習作とわかっていながらも記事を書く事により、反芻しながら考えられるようになり作品のブラッシュアップに繋がったからだ。

習作作品は、BMXグラフィティ(6)制作篇BMXグラフィティ(7)制作篇 part2BMXグラフィティ(8)都市への探索の3つの記事に詳しく書いている。この3つの記事でBMX Graffitiは大判紙に直接描くスタイルから始まり、紙の歪みを取り入れた表現へと進化し、最終的には都市空間へとキャンバスを移し、街中に直接水で描くスタイルへと変化した。

左からBMXグラフィティ(6)制作篇→BMXグラフィティ(7)制作篇 part2→BMXグラフィティ(8)都市への探索

その次のBMXグラフィティ(9)考察篇で最終作品の考察で論文を書く為の軸を形成したBMXグラフィティ(9)考察篇では、2000枚のBMX Graffitiを大垣を軸に制作してきた。大垣周辺の他にも岐阜駅、名古屋駅周辺でも行ったが、合計で200枚程しか実践出来てなく、本格的な都市比較が出来なかった。これは今回の連載と研究での心残りだ。今後BMX Graffitiを行う際は、実践した事ない場所で実践を行い、更なるBMX Graffitiの探求を行っていきたい。その際はまた、本ブログで記事を掲載する。

BMX Graffiti連載をお読みいただき、ありがとうございました。 

写真 : オオタソラ

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