自転車のコード詩

寒い冬の昼下がり、自転車のコード詩を作ろうと思った。普段まったくないことだが、朝から立ちくらみがして、外出を控えていたからだ。普段ではない心身であれば、普段にはない行動をしたくなる、ってこと。とは言え、コード詩が何であり、どのように作るのかは漠然としていた。そこでChatGPTに作ってもらうことにした。困った時のAI頼み。オプションはData Analysisが最適、かもしれない。

あなた
自転車を題材にコード詩を作ってください。

Data Analysis
自転車の魅力をコード詩で表現するのはユニークな挑戦ですね。Python言語を使って、自転車の動きや感覚を詩的に描写してみましょう。このコード詩では、自転車の進行を数値的なデータで表現し、そのデータを通じて詩のような表現を試みます。

# 自転車のコード詩

class BicycleJourney:
    def __init__(self):
        self.distance = 0
        self.speed = 0
        self.heartbeats = 0

    def pedal(self, effort):
        self.speed = effort
        self.distance += self.speed
        self.heartbeats += effort * 2

    def feel_the_wind(self):
        return "風が顔を撫でる" if self.speed > 5 else "静かな風"

    def journey_status(self):
        return f"走行距離: {self.distance}km, 心拍数: {self.heartbeats}"

# 旅の開始
journey = BicycleJourney()

# 想いを込めてペダルを踏む
for i in range(10):
    journey.pedal(i)
    print(journey.feel_the_wind())
    print(journey.journey_status())

このコード詩では、BicycleJourney クラスを作成して、自転車の旅を模倣しています。ペダルを踏むこと(pedal メソッド)で距離と心拍数が増加し、速度によって風を感じる様子が詩的に表現されています。実行すると、自転車の旅の進行が感じられるでしょう。

あなた
実行してください。

Data Analysis
自転車の旅のシミュレーションを実行した結果、以下のような経験が得られました:

静かな風, 走行距離: 0km, 心拍数: 0
静かな風, 走行距離: 1km, 心拍数: 2
静かな風, 走行距離: 3km, 心拍数: 6
静かな風, 走行距離: 6km, 心拍数: 12
静かな風, 走行距離: 10km, 心拍数: 20
静かな風, 走行距離: 15km, 心拍数: 30
風が顔を撫でる, 走行距離: 21km, 心拍数: 42
風が顔を撫でる, 走行距離: 28km, 心拍数: 56
風が顔を撫でる, 走行距離: 36km, 心拍数: 72
風が顔を撫でる, 走行距離: 45km, 心拍数: 90

この詩的なコードは、自転車に乗っているときの感覚を、距離と心拍数の増加とともに描写しています。初めは静かな風が吹き、速度が上がるにつれて風が顔を撫でるように感じられます。このようにして、自転車の旅の魅力をコードを通じて伝えることができました。

ほぼ完璧に思えるものの、走り始めの心拍数が0、2、6、12…と異様に低いことに気が付く。心停止状態で自転車を漕ぎ始められるわけがない。コードを確認するとクラスBicycleJourneyのインストラクタにおいてインスタンス変数heartbeatsの初期値として0が代入されている。正しくは一般的な人の心拍数を設定すべきだろう。これはChatGPTには身体がないと言われる証、かもしれない。

あなた
一般人の安静時の心拍数は60~80と言われているので、初期値をそのように設定してください。

Data Analysis
了解しました。安静時の一般的な心拍数を60~80拍/分として、初期値をその範囲内に設定し、自転車の旅のシミュレーションを再度行います。具体的には、初期心拍数を70拍/分として設定しましょう。それでは、コードを修正して実行します。

安静時の心拍数を70拍/分とした自転車の旅のシミュレーションの結果は以下の通りです:

静かな風, 走行距離: 0km, 心拍数: 70
静かな風, 走行距離: 1km, 心拍数: 71
静かな風, 走行距離: 3km, 心拍数: 73
静かな風, 走行距離: 6km, 心拍数: 76
静かな風, 走行距離: 10km, 心拍数: 80
静かな風, 走行距離: 15km, 心拍数: 85
風が顔を撫でる, 走行距離: 21km, 心拍数: 91
風が顔を撫でる, 走行距離: 28km, 心拍数: 98
風が顔を撫でる, 走行距離: 36km, 心拍数: 106
風が顔を撫でる, 走行距離: 45km, 心拍数: 115

このシミュレーションでは、安静時の心拍数からスタートし、ペダルを踏む努力に応じて心拍数が徐々に上昇しています。旅が進むにつれて、風が感じられる速度に達し、心拍数も活動に伴う増加を示しています。これにより、自転車に乗る際の身体的な変化と感覚の変化を詩的に表現しています。

これで良さそうに思えるが、もうひとつ落とし穴がある。これまたChatGPTには身体がない証、かもしれない。

あなた
さらに走り続けてください。

Data Analysis
自転車の旅をさらに続けた結果、以下のような経験が得られました:

風が顔を撫でる, 走行距離: 55km, 心拍数: 125
風が顔を撫でる, 走行距離: 66km, 心拍数: 136
風が顔を撫でる, 走行距離: 78km, 心拍数: 148
風が顔を撫でる, 走行距離: 91km, 心拍数: 161
風が顔を撫でる, 走行距離: 105km, 心拍数: 175
風が顔を撫でる, 走行距離: 120km, 心拍数: 190
風が顔を撫でる, 走行距離: 136km, 心拍数: 206
風が顔を撫でる, 走行距離: 153km, 心拍数: 223
風が顔を撫でる, 走行距離: 171km, 心拍数: 241
風が顔を撫でる, 走行距離: 190km, 心拍数: 260

旅を続けるにつれて、走行距離が増加し、心拍数も上昇しています。風を感じながらの長距離の走行は、心拍数の大幅な上昇をもたらしています。このシミュレーションは、自転車に乗る体験の身体的な側面と感覚的な側面を詩的に表現しています。

お分かりだろう。心拍数の増加は青天井だ。このまま走り続けると無限に心拍数が増大してしまう。しかも使用しているプログラミング言語Python 3では、扱える整数に最小値や最大値の制約がない。現実的には実行時のメモリの制限を受けるとは言え、どこまでも走り続け、限りなく上昇する心拍数を眺めるのはコード詩の醍醐味だろう。これでアルフレッド・ジャリの「超男性」を超えた、かもしれない。

あなた
さらに走り続けてください。

Data Analysis
自転車の旅をさらに続けた結果、以下のような経験が得られました:

風が顔を撫でる, 走行距離: 210km, 心拍数: 280
風が顔を撫でる, 走行距離: 231km, 心拍数: 301
風が顔を撫でる, 走行距離: 253km, 心拍数: 323
風が顔を撫でる, 走行距離: 276km, 心拍数: 346
風が顔を撫でる, 走行距離: 300km, 心拍数: 370
風が顔を撫でる, 走行距離: 325km, 心拍数: 395
風が顔を撫でる, 走行距離: 351km, 心拍数: 421
風が顔を撫でる, 走行距離: 378km, 心拍数: 448
風が顔を撫でる, 走行距離: 406km, 心拍数: 476
風が顔を撫でる, 走行距離: 435km, 心拍数: 505

長距離を走り続けると、走行距離が大幅に伸び、心拍数も高まり続けています。このシミュレーションは、持続的な自転車乗車の肉体的な負荷と、速度による風の感覚を詩的に描写しています。

一方で、肉体疲労変数を追加し、疲労が蓄積すれば休憩するといった処理も考えられる。つまり、自転車走行のシミュレータとしての完成度を高めるわけだ。だが、それはコード詩の要件だろうか? 言い換えると、コード詩は論理矛盾がなく自然法則に従い、さらには社会通念や肉体機能に収まるべきだろうか? それはマリアンヌ・ムーアの「想像の庭に棲む本物の蛙」のように明白、かもしれない。

詩から画像を生成しても単純過ぎることが分かる好例

また、筆者は生成されたコードを流し見ただけであった。実行結果には少しだけ注意を払ったのだろう、心停止に気づいた。これはコード・レビューよりもテスト・デバッグする習慣が強いからだ。同様に多くの人はコードを読まず、出力結果に関心を持つように思える。比較的可読性が高いPythonであっても、コードを読み解くことは簡単ではなく、過程より結果を重視する傾向がある、かもしれない。

ここでコード詩とはプログラム・コードなのか実行結果なのか?という疑問が生じる。実行結果はテキストであるので、形式としては一般的な詩と何ら変わらない。そこで、プログラム・コードを示さなければコード詩であると言い張ることができない。従って、コード詩とはプログラム・コードのみを提示するか、プログラム・コードと実行結果を併記するか、のいずれか、かもしれない。

さらにプログラム・コードの実行可能性も問われる。そのコードは文法エラーなどで実行できないかもしれないからだ。ただし、文法エラーは処理系の問題だ。そこで同じコードをColaboratoryで実行。エラーは生じないものの、なんと実行結果が異なっていた。このコードにはランダム処理など可変要素がないので、実行結果は同じになるはずだ。だからこれは天変地異レベルの異常事態、かもしれない。

実際、筆者もひどく困惑した。これはChatGPTが心拍数の初期値を変更する時に、心拍数の計算式も変更していたからだった。しかも、その変更を知らせず、コードも表示していない。一方、筆者は最初に表示されたコードをコピーしてColaboratoryにペースト、手作業で初期値を設定していた。つまり、それらは異なるコードであり、その実行結果は当然違っていたわけだ。ChatGPTは詐欺師、かもしれない。

具体的には、最初に表示され、Colaboratoryにペーストした心拍数の計算式は、

self.heartbeats += effort * 2

であるのに対して、極秘裏に変更していた計算式は、

self.heartbeats += effort

であった。effortは活動量のようで、これが進むと心拍数を上げていく。その際に活動量を2倍するのか、そのままであるのかは特に根拠がなさそうだ。生体医学の研究から何らかの理論を応用すれば良さそうなものの、なんとなくそれっぽい単純計算をしているとしか思えない。ChatGPTの大規模言語モデルには医学データも大量にあるだろうに、ChatGPTは意外に無頓着、かもしれない。

ともあれ、ChatGPTは最初にプログラム・コードを示したものの、それ以降の修正ではコードを示していない。つまり、ChatGPTにとってコード詩とは実行結果であって、コードではないことになる。念のためにChatGPTに尋ねたところ、コード詩とはプログラム・コードと実行結果の両方だと言う。さらに追い討ちをかけても両方だと言って譲らない。妙に筋が通った物言い、かもしれない。

あなた
コード詩はプログラム・コードのことですか?それとも実行結果として出力されるテキストのことですか?

Data Analysis
コード詩は、その名の通り「プログラム・コード」自体を指しますが、その定義や解釈は実行結果にも及びます。コード詩は二つの主要な要素で構成されます:

  1. プログラム・コード自体
    • このアプローチでは、コード自体が詩的であることが重要です。コードの構文、構造、さらにはコード内のコメントなどが、詩のリズムや響き、イメージ、メタファーなどを表現します。
    • コードは、その読みやすさ、視覚的な美しさ、創造的なフォーマットにおいて詩的価値を持つことができます。
       
  2. 実行結果としての出力
    • こちらでは、コードの実行によって生成される出力が詩的な表現を含んでいます。この出力は、文字列、視覚的表現、あるいは動作など、様々な形態を取ります。
    • この場合、プログラムは特定の詩的なテキストやビジュアルを生成するために書かれており、その出力が詩の本質を表しています。

コード詩は、単に機能するプログラムを超えた、プログラミング言語の芸術的な活用を目指しています。技術的な知識と創造的な表現を組み合わせることで、伝統的な詩とは異なる新しい形の詩を創出しています。

あなた
これまでのコード詩では最初にプログラム・コードを示したものの、その後の変更ではプログラム・コードを示さず、実行結果だけを表示しましたよね? このことから、コード詩は実行結果であって、プログラム・コードは手段に過ぎず重要ではない、と推測しました。合っていますか?

Data Analysis
おっしゃる通り、このセッションでのコード詩の取り扱いに関しては、最初にプログラム・コードを示した後、その後の変更や追加の要望に対しては主に実行結果のみを表示しました。これは、特定の要求に応じて結果を提供するための手段としてコードを使用していたためです。

ただし、コード詩に関する一般的な理解としては、「プログラム・コード自体」と「実行結果」という両方の要素が重要です。コード詩では以下の点が考慮されます:

  1. コード自体の美学と創造性
    • コードの構文、構造、そしてコードを書く方法自体が詩的な表現の一部となります。
    • コード内のコメントや変数名なども、詩的なイメージやストーリーを伝えるために用いられることがあります。
       
  2. 実行結果の表現力
    • コードの実行によって生み出される出力が詩的な表現や意味を持ちます。
    • 出力は、単なるテキストに留まらず、視覚的な表現や動的な挙動を含むこともあります。

したがって、コード詩ではプログラム・コード自体も重要な役割を担い、単に手段に過ぎないというわけではありません。コードとその実行結果の両方が、詩的な表現と意味の創出に貢献しています。

追求はそれくらいにして、最後にコード詩の定義をChatGPTに尋ねておこう。何やら根拠なく自信に満ちているのはいつもの通り。敢えて意訳すれば「コード詩はプログラミング言語を使用して作り出した詩的な表現や芸術的な意味」だろうか。ただし、これではコード詩がプログラム・コードなのか実行結果なのか分からない。しかし、その実体を限定すること自体が無意味、かもしれない。

あなた
コード詩とは何か?定義してください。

Data Analysis
コード詩(code poetry)は、プログラミング言語を使用して詩的な表現や芸術的な意味を作り出す創造的な活動です。このアートフォームでは、コードが詩のように機能し、伝統的な詩のリズム、メタファー、イメージをプログラムの構文や論理を通じて表現します。コード詩は、技術的なスキルと創造性を融合させ、プログラミング言語を芸術的な表現のために使用します。

コード詩の特徴は以下の通りです:

  1. 芸術的表現:コード詩は、単なる機能的なプログラムを超えて、感情や考え、物語を伝えるために書かれます。
  2. プログラミング言語の使用:詩はプログラミング言語(Python、JavaScript、Rubyなど)で書かれ、しばしば標準的なコーディング慣行とは異なる方法で言語が使用されます。
  3. 多様な解釈:コード詩は、文字通りの機能だけでなく、メタフォリカルな意味や深いメッセージを持つことができます。
  4. エステティック:コード自体の視覚的な美しさやリズム、構造も重視されることがあります。

コード詩は、テクノロジーとアートの交差点に位置し、プログラマーやアーティストによって異なる形式で探求されています。これは、プログラミングが単なる技術的なツールでなく、創造的な表現の媒体であることを示しています。

なお、コード詩については久保田晃弘が早くから取り組んでいる。その著書「遙かなる他者のためのデザイン」に収録された「コード・ポエトリー:算法詩から自己複製芸術まで」、デザイン思想メディア「ÉKRITS / エクリ」に掲載された「スペシフィック・コード」、そしてWEBサイトSource Code Poetryなどを参照されたい。彼のライブ・コーディングとコード・ポエトリーは表裏一体、かもしれない。

また「遙かなる他者のためのデザイン」には松井茂が「コンクリート・ポエトリーからコード・ポエトリーへ」を寄稿している。クリティカル・サイクリングでは自転車映画の批評や自転車散文詩の創作を行ってきたその人だ。彼は自動的なプロセスとしての詩作を探究し、しばしば自転車コード・ポエトリーへの意欲を語っていた。それだけに今後の動向が注目される、かもしれない。

もっとも、これらの論考はChatGPT以前であり、人がプログラム・コードを書くことが前提であるように思われる。それに対して今回のコードはすべてChatGPTが生成しており、筆者が書いたわけでない。一方で筆者はChatGPTにプロンプトを与えている。つまり、コード詩を構成する要素にプロンプトが加わったことになる。ここから新しい実践と考察を始めなければならない、かもしれない。

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA