2022年4月から2023年3月までの1年間、萌芽プロジェクト「プラクティカル・サイクリング」の外部研究員という役割を得て、自転車で実際に走行を行うという調査を行った。
調査する対象は、走る道、道そのものである。
サイクリングは何日もかけて自転車で旅をすることから、住まいの近くにあるスーパーやコンビニに買い物にいく自転車まで、日常非日常を問わずどこにでもあるありふれた行為なのだが、現代社会においてその存在はありふれたものとは言いにくいものとなっている、というのが筆者の持つ考えである。
その、ありふれなさ、はどこから生じているのか、それをいくつかの実走調査を経て考えたのがこの文書となる。
実践1:南あわじ・鳴門
兵庫県にある淡路島は、近畿地方における自転車ツーリズムのなかでも代表的な場所であり、この島を走る自転車ルートは人気がある。
能「高砂」のなかの、四海波の部分の一節には次のようにある。
高砂やこの浦舟に帆をあげて。この浦舟に帆をあげて。月もろともにいでしおの。浪の淡路の嶋かげや。遠く鳴尾の沖すぎて、早や住の江につきにけり。
古来、淡路島の浮かぶ瀬戸内海においては、海上が交通手段として発達していた。自動車の道として考えると兵庫県高砂から大阪市住之江に至るには海岸沿いに、途中阪神高速道路湾岸線などを通って行くのが早い。しかし、この詞章では、風にのって船は海を突っ切って進み。淡路島を近くに見ながら、今の阪神甲子園球場のある西宮の沖合を過ぎ、あっというまに住之江に到着した、とある。
つまり、淡路を移動することとは、ただ島を一周するというようなことだけでなく、海を渡って陸と陸をつないでいく道筋の一部だったのだ。
現代において、海を渡り、島々を巡るサイクリングは自転車移動や自転車運動をより身体的な実践としてくれる。島と島の間に広がる海原は陸地で言えば大きな窪、人を迂回させるクレーターのようなものだ。島は隆起した土地でもあるため、島を走ることは山の周囲を走ったり、山の峠を上り下りしたりすることのように見える。しかし、見方を変えてみれば、大きな窪地の外輪を走っているルートでもあるのだ。
春に行った実践は、鳴門海峡を挟んで兵庫県の南淡路と徳島県の鳴門とを自転車のラインで繋いで走ることだった。鳴門は鳴門の渦潮で知られる海流が激しく2つの海を行き来する境界の海である。鳴門の海を眺めていると、海が川に変化しつつ、また川から海へと姿を変えるような、変幻の景観を生み出している。
この自転車旅では、自転車と他の交通手段が織りなす複雑な関係性が、冒険心をくすぐり、旅の醍醐味を引き出す。しかし、この関係性は、バスの時刻表に依存する橋の通行可能時間を考慮し、柔軟なルート計画が求められる。自転車にとっては今現在、鳴門海峡を対岸まで移動する手段は、バスへの搭載に頼らなくてはならないからだ。
2023年、鳴門海峡にかから鳴門大橋を、将来的に自転車によって通行できるようにする事業の着工が発表された。この大きなクレーターの上を自転車自身で走る手段が実現されつつある。しかし覚えておかなければならないことがある。隕石が追突したり火山が噴火したりして地上に現れたクレーターという比喩は伊達ではなく、海峡というのはスケールの大きな峡谷なのである。人に対する不可侵性をも備える、本来危険な土地の形をしていることは留意すべきであろう。
鳴門大橋の東詰にあたる道の駅に自転車でたどり着くには、相当な高低差を自転車で登りきる必要がある。橋だけではなく、橋に至る道もまた、この大きな窪地を走り抜くうえで欠かせない道筋となる。
島々を巡るサイクリングは、物理的・精神的な挑戦と向き合うことが不可欠だ。風に煽られる橋を渡り、急な坂道に挑むことで、人々は自分自身と対話し、成長する機会を得る。そして、この過程で人間は自然との関わりを深め、自分が大地や海と共に繋がっていることを実感するだろう。
実践2:別府・由布院・くじゅう連山
この実践は2022年11月25日〜28日の4日間に実施した。
経路は次のとおりである。
- 神戸港からフェリーに自転車を搭載して大分港へ海上を移動(フェリー泊)
- 別府から由布院・くじゅう連山を経て、長湯温泉で宿泊
- 長湯温泉を出発し、豊後大野から大野川沿いを下り大分湾へ
- 大分港からフェリーで帰途につく(フェリー泊)
くじゅう連山には、「ぐるっとくじゅう周遊道路」という道が整備されている。また、別府から由布院を経て周遊道路にいたる「やまなみハイウェイ」という道は、その名前のとおり自動車用道路として整備されその後一般道路として開放された経緯を持つ。
阿蘇、そして、くじゅうの山並みというのは、太古の昔におこった火山の破局的噴火によってもたらされた、巨大なカルデラによって生み出された。今でも湧き出す温泉は、その大地の力の産物である。
1日目は温泉地として有名な別府の街から急峻な峠を登り、かつてそこにあったであろう巨大火山のぐるりをめぐるような絶景をめぐる。壮大にひろがる高原を走り抜けて周囲の山々を眺められる爽快な道路は、もともとは自動車で走るために備え付けられた道路である。自転車で走るにはパワーを出さなければ乗り越えられないような起伏も多く、絶景という褒美をえるために支払わなければならない身体的犠牲は大きい。
この実走では長湯温泉を宿泊地とし、心身の回復をはかる。この湯につかるために1日の山越え谷超えクレーターを超えての苦痛があったのかもしれない。天国への道は地獄にこそある。
運動体を設計すること
時間の経過とともに空間内の位置を変える現象や活動を「運動体」と定義し、その運動体を「設計」することが、本実践を行うことに課された課題でもある。その課題に対する研究プロジェクトはこれから形づくられていくことになるだろう。
筆者による運動体実践は、これをもって一旦の終了となる。自分自身がプロジェクトに対するどれだけの窪地を掘ることができたかどうかは自分の立ち位置からは見えづらく、その視点をまた移し替えていくことで見えてくる道筋があると期待もしている。
自転車に乗りながら考えることは、一様ではない。本実践では自転車が走る道そのものを設計することで、運動体を考えるための一端であった。では、運動体とは何か。定義ではなく、私とあなたとの間にある運動が時間や空間にどのような作用を与えているのか、その結果を見に行くこともまた動き続けることである。どのような道がでてきても、この自転車なら越えていける。その確信だけが脚を前にすすめる時間帯は多くあった。
自分自身にとっての自転車とは、おもった以上に固定的な存在に過ぎないことが実践を通じて見えてくるものでもあった。電動アシストも、変わった装備もアタッチメントも、流行り廃りのトレンドも、何もいらない。神様の図形・三角形を2つ組み合わせたフレームに2つの輪、そこから想起できる視覚的な形状は一様なものに近づいていくかもしれない。設計としての多様性は生まれないかもしれない。だが、何が悪い。
人類はだれも目撃したことのない阿蘇の大噴火から流れ出した溶岩の這い回った跡を、大分湾に流れ込む大野川の流れと道行きを共にした。ここにある自然の地形は流転する状態の、ある時点で仮に固定された一部でしかないかもしれない。明日はまた違い、100万年後はまた異なる形なのかもしれない。それを受け入れるための主体である自転車。そのかたちが、私たちが知る限りの姿かたちであることを願うのは、進化に対する逆行となるのだろうか。進化しないといけないのだろうか。
変容を受け入れる一様な形の自転車をつくること。道の中で考えた私なりの運動体設計である。