バーナード・フィッシュマン(Bernard Fishman)の「自転車で月へ行った男」(1979)は、文庫本で170ページほどの中編小説。原題は”The man who rode his 10-speed bicycle to the moon”、主人公はニューヨークで成功したグラフィック・デザイナーで、豪華なアパートに住んいる。45歳の誕生日に妻からプレゼントされたのが10段変速の自転車。誰もが憧れる高性能スポーツ・バイクだ。
いかにもお洒落なリア充都会物語のようだが、冒頭から暗雲が立ち込めている。主人公は何に対しても感情や興味を持てなくなり、透明人間になりそうだと不安に苛まれる。自転車を練習しても複雑な機構や前傾姿勢に慣れず、玄関の飾り物になる。円満な生活はうわべだけに思え、妻と別れて暮らし始める。白く大きなグレート・ピレネニーズの愛犬が老衰するのを見かねて、尊厳死に送り出す。
一方、偶然出会った美しい娘に好意を寄せられ、親密になっていく。再び自転車に取り組み、変速を体得して軽快に走り回るようになる。何やら状況が好転したようだ。ところが、古めかしいペニー・ファージング(だるま型自転車)に出会い、不穏な気配が忍び寄る。明らかに場違いなのに、周囲の人は誰も気がつかない。乗り手は主人公を探しているらしい。そして突如として消え去る。
この辺りから巧妙に現実と夢想が入り混じり、区別がつきにくくなる。自転車に乗って世界中を周り、妻と一緒に走るのは、うたた寝の夢の中での出来事だ。だが、美しい娘と一緒にペニー・ファージングを探し出そうと自転車で駆け巡るのは現実だろうか。ましてや、当然のように月へ行こうとするのは正気の沙汰ではない。しかも自転車で月に辿り着かんとする時に、亡き愛犬が追いかけて来る。
本作は「星の王子様」や「かもめのジョナサン」の現代版、都会版と評されたのも頷ける。良質なファンタジーがそうであるように、これは単に滑稽無稽な与太話ではなく、紛れもない現実の感覚の純化であり、至福の瞬間の永続化に他ならない。それは例えば、滑らかな路面での風を纏った疾走であり、苦行じみたヒルクライムの先の自然落下だ。その時確かに車輪は地面に触れていないはずだ。
もう一つ楽しめるのは、ふんだんに盛り込れたニューヨークの地名だ。主人公の初めての遠出はグラマシー・パークからソーホーに立ち寄り、バッテリー・パークまでの約4.7マイル(7.6km)。五番街からブロードウェイを経てセントラル・パークへ、そしてアッパー・マンハッタンを抜けて月へ向かうのはジョージ・ワシントン・ブリッジの優雅な弧線、といった具合。
筆者は僅かな滞在であるものの、何度かニューヨークを訪れたことがある。マンハッタンの川沿いを周回するグリーンウェイには感激したし、休日なら目抜き通りでも自転車で快適に走ることができた。ただ、芝生に寝転んで眺めた貿易センタービルには、なぜか入ろうとは思わなかった。そして、911以降はテロ対策で治安が良くなったのに驚かされ、それはストリート・ファイトに繋がっていく。
グリーンウェイが提唱され整備が始まるのは1990年代なので、本作には登場しない。一方で、マナーの悪い自動車に苦労する様子はしっかりと描かれている。ひどい渋滞を颯爽と通り抜けるメッセンジャーが活躍し始める頃だ。主人公が「いかにもニューヨーク的だ」と言う10段変速の自転車は、知人によると前2段、後5段の変速ギアらしい。ダウン・チューブのシフターで切り替えるのだろう。