詣でなくてもライド

本年最初の自転車ライドに出掛けたのは、元日の朝10時頃のことである。JR明石駅からもほど近いレンタルサイクルで自転車を借りる。店につくと店主が一人待ち構えていた。

「元日から営業しているのですか」と、前日の大晦日に店に聞いてみたところ「言ってもらえれば開けますよ」という。1年前も利用した明石淡路島レンタサイクルの使い勝手に助けられて今年も元日サイクリングの準備は整った。

娘と二人で出掛ける元日のサイクリング、1年前と同じく行き先は淡路島である。この1年間で娘の自転車適正サイズは24インチから700Cへと大きくなった。自転車にそこまでの凝り性ではない人にしてみれば、24の次がなぜ700なのかが解らない、というお気持ちを持たれただろう。私も同じ気持ちである。インチがどこからどこを測った寸法で、Cがなんの単位なのかということが、ぱっと説明できるほどに理解はしていない。だが自転車のサイズは変わっておらず、娘の身長が伸びたことだけが伝わればここでは充分だ。

元日といえば初詣をすることがTypicalなのだが、じつは明治期に鉄道の発達とともに庶民の娯楽として成立したのが初詣だ、とする説もある。『初詣の社会史: 鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム』(東京大学出版会)が詳しい。

移動することを起点として年中行事を考える視点は興味深い。江戸時代に目をやってみれば当時、伊勢詣が流行した理由として東海道を始めとした街道や宿場の整備に加えて、移動を制限されていた政治情勢の中であっても伊勢神宮参拝を理由とすれば通行を許される、という背景があったとも言われる。一方で移動中には自由も存在していたと思われる。だからこそ神社の門前などには娯楽街や色街花街が発展していったと考えることもできる。そのうちに目的地と移動との優先度が逆転するようなこともあったのでは、と推測するのは無理があるだろうか。

自転車を船に乗せて淡路島に渡り、元日の陽光を浴びながら海沿いを走る。この自転車移動にはこれといって目的があるわけではない。目的がないからとくに呼び名が決まっているわけではない。しかしながら、これで2年続けて元日に淡路島を自転車で走ることになる。初詣をはじめとして、様々な年中行事の重要な要件は、繰り返し続けられることにあるとも言える。

先に紹介した「初詣の社会史」の中で筆者は、初詣がやがて皇室ナショナリズムともからみあいながら「国民」行事として定着していく過程を述べている。

「上から」の強制ではなく、人々が自発的に楽しみながら毎年同じ行事を反復することで強固な持続性をもったナショナル・アイデンティティが形成されていく過程を、初詣の近代史から浮かび上がらせた

https://allreviews.jp/review/2861

もともと、人々が繰り返し続けていた寺社へのお参りに、新しい移動手段である鉄道がイベント化の促進をして、大型化していくにつれて大きな共同意識へと組み替えられていったものが、現代の初詣へと脈々と続いているのだという。

私達の元日自転車道中にとっても、初詣は目的ではない。ただでさえ折しも新型コロナウイルス感染の再拡大が目に見えている時期であり、人々が集まる場所に向かうことは好ましいこととは言えない。だから少人数で、比較的感染経路となりづらいアクティビティとして、人の多くない場所へと自転車で出向くのである。

淡路に渡る船乗り場につくと、ちょうど出港時刻間際であった。係員が「乗りますか?」と聞き「はい」と答えると、「ではお子さんは先に船へ。あちらで急いできっぷを買ってきてください」と案内された。娘も去年に引き続き2回めのジェノバライン、勝手はわかっているので乗船は自力でできるだろう。私がドタバタと買ったきっぷを係員に渡しながらブロンプトンを積み込んだときには、すでに娘のGIANT ESCAPEは船の自転車キャリアに固定されていた。よく見るとこのレンタルクロスバイク、ホイールにMAVICがつけられている。

船はほどなく淡路島の岩屋港に到着した。絵島の横を通り過ぎて淡路島の外周ルートを走り始める。少しづつ変わりつつある淡路の風景、ロードサイドの店なども増えてきているようだ。遠くに見える観音像(解体中)を眺めていたら、さらにその奥の紀淡海峡に浮島現象を見ることができた。

海水が温かく空気が冷たい時に見られる現象(写真中央)

元日の太陽が輝く海の上に、島が宙に浮いているかのような錯視現象。もう、これを見ることが目的だったということにしてもいいかもしれない。あとは栄養や水分補給をしつつ穏やかなサイクリングを進めればよい。東浦海岸に到着した。持ってきたお湯でカップラーメンを作って食べる。気温は寒いが海からの風は弱く、海辺で食べるカップラーメンの美味しさも上々である。

東浦でUターンして帰り道、本福寺に立ち寄った。15%前後ありそうな門前の激坂ではもちろん、自転車を降りて押す。お墓参りの人がチラホラとお寺から出てくる。境内に入って安藤忠雄設計の水御堂にお参りをする。移動しながら移動そのものに行事的な意味合いを建てつけていく。何も決めずに自転車を船に載せたにしては、それなりに初詣っぽいライドになったような気がする。

薬師如来に無病息災をお祈りしてから大阪湾を一望できる本福寺の眺望を後にして、岩屋港へと走り出すと小雨が降り出した。まいったねこりゃと二人で自転車を走らせながら、本州の方角を見ると晴れ間も見えているので、進めば自転車路にも日和あり、今年の初ライドは進んで行く。

次なる「詣で」先は行き道に見つけた、コンテナが立ち並ぶ屋外レストラン施設「淡路島シェフガーデン」である。雨宿りついでに甘くて美味しい飲み物でも飲みに行こう。目的は何か?元日のライドを良き思い出にして、また来年も行こうという気持ちにするために決まっている。ドリンクスタンドで温かいココアとレモネードを注文していたら、雨はもう上がっていた。

来年の元日ライドはどのようになるだろうか。このようなことを地道に繰り返していくうち、いつの日か今度は鉄道ではなく「初詣といえば自転車業界が自転車を売るために始めた娯楽だよ」と言われるようになるだろうか。

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