Cycling Edge 06: 東京自転車節・考

東京自転車節」は2020年の東京で自転車配達員として働くセルフ・ドキュメンタリー映画。2021年7月公開当時に関心を引いたものの、最近になってようやく観ることになった。かつてフード・デリバリーは最先端の社会システムであったし、新型コロナ・ウイルス禍は戦争を凌ぐ危機にすら思えた。だが、それらも遠い昔のように思える今日この頃だ。

本作の主人公は映画監督自身であり、山梨で運転代行で生計を立てていた。しかし新型コロナ・ウイルス感染拡大で失業し、ウーバー・イーツで稼げると聞いて小径車で新宿に向かう。お決まりの巨大バッグを背負って奮闘するも時給1,000円にも満たない日々が続く。注文が多い雨の日や富裕層の多い高層マンションは配達に辛い。放心したり、自暴自棄になるのもうなづける。

当初から乗っていた小径車だけでなく、機動力を求めてシェアリングの電動アシストを活用。そして譲り受けたのかドロップ・ハンドルとダブル・シフターのクラシカルなロード・バイクにも乗るようになる。自転車は働く道具であり、汗を流して日銭を得る相棒だ。ただし、乗車姿勢が悪いのが気になるし、安全安全と言いながらヘルメットを被らないのはいただけない。

撮影はおもにiPhoneとGoProによる自撮り。手持ち撮影もあれば、自転車や床などに固定した撮影もある。実直で淡々とした一人語りが大半ながら、終盤の畳み掛ける一人シュプレヒコールや長回しによるクライマックスは鬼気迫る勢い。一方で、あざとい印象を与えるシーンもあれば、明らかに他の人による撮影もある。映画としての最小限のエンターテイメント性だろう。

実家での家族暮らしから東京での友人宅の居候へ、そして安ホテルから路上生活へと次第に孤独になっていく。自らも「みんな一人、孤独、それが人間」と呟く。僅かながらTOKYO 2020のマークや後に暗殺される総理大臣の演説が白白しく映っている。エンディングで国会議事堂に自転車で乗り付けるのは、それまでに見え隠れしていた社会的な問題意識の象徴だろう。だがそれもどこか虚しい。

この映画は2020年の悪戦苦闘記として見飽きることはなかった。むしろ記憶が風化しつつある今だからこそ各種配信サービスで観る価値がある。ただ当時は三密回避が叫ばれる中で劇場公開しかなく、やがては筆者も忘れ去っていた。これこそがこの映画の限界(エッジ)であり、人々が東京(センター)に出稼ぎに行く理由に他ならない。新しい生活様式とともに新しい行動様式こそが必要とされていた。

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