自転車にとっての制御システム

過去に執筆した記事では、人間が自転車にとっての動力源であり、さらにはフレームであることを示した。自転車と人間の関係を一つの移動体システムとして捉えるとき、自転車にとって人間はこれらに加えて、制御システムとしても機能していると考える。さらにに自転車には、制御システムとしての人間の機能を効果的に発揮させる性質がある。

自転車という機械は、私たちの身体を拡張し、自然に身体の一部として受け入れられている。通常、我々は自転車を使用する際に、操作に対して特別な意識を向けることなく操作できる。これは、ヒューバート・ドレイファスとスチュアート・ドレイファスがハイデガーを引用し提唱した「道具の透明性」という概念に合致する。この概念は、道具が使用中に意識されることなく、まるで身体の一部のように機能し、使用者が目的に集中できる状態を指す。

人間を自転車の制御システムとして考えた場合、この使用感覚を持たずに制御している状態は、まさに制御システムとしての人間に対してかかる負担が抑えられた状態であるとも考えられる。負担が低いからこそ、外部の状況への注意や操作とは無関係な思考をすることができるのだ。これは、自転車が「道具の透明性」を持つ道具として機能しているからこそ実現しているのである。

また、人間はフレキシブルな制御機関であることで、意識負担を抑えていると考える。自転車操作時に伴う身体運動であるペダリングは、ペダルにかける圧力の微調整により、自転車のパワー調整を人間は行っている。このパワーの微調整は、ペダリングのタイミングや強さなど多様な方法で行われている。さらに、外部環境の感知という要素も絡む中で、人間は制御システムとして機能している。制御システムとしての人間は、複雑な処理を状況に合わせた選択と集中を行うフレキシブルな制御で実現しているのである。たとえば、車輪の回転が止まりそうになったら身体運動であるペダリングに意識を向け、走行環境が複雑な場合には身体運動に意識を向けるなど、意識の集中の方向を状況に合わせて変更することを難なく行っている。

「道具の透明性」と人間のフレキシブルさは相互に作用する。自転車が持つ「道具の透明性」により、外部環境への適応や状況判断に集中できるようになり、それによって人間のフレキシブルな制御能力が最大限に発揮されると考える。この相互作用により、自転車と人間は優れた移動体として一体化したシステムとして機能すると考える。

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