日本最大の貯水量を誇る徳山ダム。そのダム湖によって当時約1,500人が住んでいた徳山村は水没し、全村廃村となっている。だが実は水没しなかった集落、門入があり、今も住む人がいる桃源郷のような場所という。在りし日の姿は映画「ふるさと」に残されている。悲しい歴史もあって、いつか訪れたい場所であった。しかし、集落への道路は水没しているので、峠越えをして険しい道なき道を進むしかない。
その峠、ホハレ峠までは簡単に自転車で行くことができる。最寄りの道の駅「夜叉ヶ池の里さかうち」から片道約15km、累積標高618m、電動アシストのマウンテン・バイクで1時間ほど。軽いヒルクライム&グラベルとして悪くない。ただし、それなりの勾配で曲がりくねった坂道が続く。特に峠の手前2kmほどで舗装道路が終わり、凹凸の多い荒れた道となるので要注意。
一般にホハレ峠と呼ばれるのは坂道を上り切ったあたりで、小さな観音像があり、いくつか看板が立っている。看板は地権者による無断立入禁止と門入への歩道の案内、そして工事で落石危険との注意、なんとも困惑する内容だ。観音像は破壊と復元があったらしく、下部がコンクリートで塗り固められている。何やら複雑な事情があるらしい。そこで調査であれば探訪に問題はないと事前に確認しておいた。
案内の通り2kmほど先に進むと造成中の道路になる。作業員が一人、黙々とショベルカーとトラックで道を切り拓いている。駐車場の看板の少し先に「歩道入り口」の看板がある。これは間違いではないものの、工事が進んだためだろう、すぐにまた道路に出てしまう。実際には写真に進入ポイントと印した箇所から山道に入るのが良い。これは2023年10月の状況で、今後さらに変化するかもしれない。
進入ポイントからは急な下り坂になる。垂らされているロープにしがみついて下るしかない。山登り初心者の筆者には垂直下降のように思える。この苦行が20分間ほど続いた後に、ようやく山歩きらしくなる。多少の勾配があり、草を掻き分け、ぬかるみを避け、沢を渡って進む。後半は廃道に入り、歩きやすい。GPSで適時ルートを確認する必要があり、携帯電波は圏外なのでオフライン・マップが必須。
ちなみに、門入への探訪は2週間前にも試みていた。その時はホハレ峠の看板の裏(観音像の向い側)から登山道に入った。こちらは急斜面を横に渡り歩いて進まなければならない。無理な姿勢を強いられ、転がり落ちそうになる。実際にも老朽化していたのかロープが切れて転倒、滑落しかかった者もいた。そして造成中の道路に出くわして、それ以上進む気力をなくす喜悲劇じみた顛末であった。
さて、垂直下降と山歩きを合わせて約2時間、やがて突然に集落が現れる。コンクリートの沈下橋を渡れば門入だ。その川の穏やかさと透明度に驚く。分水嶺に近いからだろう、これほど美しい水を見たことがない。かつては密集していた家屋は更地となり、その後に建てられたのだろうか、比較的新しい家屋がまばらに点在している。居住の気配はあるものの、虚に閑散としている。
川上に向かうと農作業中の老夫婦に話を聞くことができた。数年前は10世帯ほど住んでいたが、今や定住は彼らだけ。それでも時々帰郷する人もいるそうだ。何から何まで二人で行うので、いつも忙しく、おかげで元気に健康でいられると笑う。伺った年齢とは思えないほど溌剌とされている。電気と電話、衛星放送が利用でき、ボートでダム湖を渡って買い物に行く。豪雪地帯なので冬は街に下るそうだ。
澄みきった秋の空の下、周辺を散策し、川辺に降り立ち、木陰でまどろむ。集落の石碑には桃源郷と刻まれている。徳山村の中心から離れた門入は当時から特別な場所であったに違いない。交通が遮断されたとは言え、集落が残ったのも特別な場所だからだろう。それは束の間の滞在でも伝わってくる。それだけに午後早々に立ち去らざるを得なかったのは残念。日が傾く前には戻りたいからだ。
集落から離れるにつれてさらに桃源郷に近づく。人の営みが薄れ、自然の息吹が強まるからだ。ただし自然は単なる楽園ではない。鹿だけでなく熊の足跡があちこちにあり、自然の猛威と隣り合わせでもある。ここでは人は弱々しい闖入者に過ぎない。初めて足を踏み入れた往路はもちろん、少し慣れた復路でも、緊張した覚醒感と非現実的な夢遊感が入り混じっていた。
最後に門入に向かうための最低限の用具を挙げておこう。危険なのは最初の急激な坂と今年は特に多く出没する熊だろう。この他にも服装や帽子、着替えなども工夫したい。また携帯電波は圏外となるので衛星コミュニケータを持参したり、道の駅で登山届を出しておくことも必要。ホハレ峠以降の自転車は無理と思いきや、自転車を担いで崖を下った人もいらっしゃる。これは驚嘆してしまう。