きゃんつー集い2023夏in滋賀フォトアルバム

野営する自転車ツーリングの好きな奴らの交点「きゃんつー集い」に行ってきた。今年の夏の開催地は滋賀北部の余呉。前後にあれこれつなげた旅にすることはできなかったが、弾丸関西行も楽しかった。写真メインで記録を残しておく。

朝、輪行の乗り換え駅にて。端っこにカメラを向けているので無人に見えるが、振り返ると部活動の高校生ほか乗客は多数。
小田原駅の新幹線プラットフォーム。弁当を二つ買い、こだまに乗る前に一つ、米原で下りてもう一つをペロリ。
米原で輪行解除、当てずっぽうで琵琶湖の方へ。8月末にして、やっと夏休み感をつかまえることができた気がした。今回の自転車キャンプ積載はこれが全て。人間が持つ荷物は貴重品とカメラくらい。
「農耕車多し」の注意看板の絵が素敵だった。ディティールがしっかりしていて、働く人への愛と敬意が感じられる。
琵琶湖が見えた。子どもは飛び出すものだからそのつもりで周りが対処せよ、という(※自分の理解)「とび太」くんの姿も。
色々な地名との遭遇も旅の楽しみの一つ。あれこれ想像が膨らむ「世継」交差点。その由来を「四ツ木」とする説と地域のストーリーテラー集団の居住地だったとする説があるようだ。
琵琶湖畔の木蔭を辿って北へ。淡海の別名の通り、海のようだが風はベタベタしない。酷暑の続いた夏、この日は落ち着いて最高31度くらい。ずいぶん過ごしやすく感じられた。
道の駅に寄ったりしたのち、琵琶湖から逸れて余呉の山あいへ。北陸本線も走る余呉川の谷の向こうに、立派な積乱雲が育っていた。夜になって稲光をちらつかせた雲だ。近くの神社は祭礼の日らしく、サウンドシステムからヒップホップが流れていて面白かった。
「余呉雪寒基地」。土地勘のない自分にはピンとこないけれど、滋賀県北は冬になれば雪もばんばん降り積もる寒冷地だ。参加者の何人かが選んだ北陸側からのアプローチだと、これがもっとよく実感できるだろう。
宿場町の家並み。杉玉を提げている酒蔵が目に入ったので寄ってみるなどした。自分の自転車のセットアップではほとんど何も積めないのに。
食料の買い出しスポットとしてあてにしていたキャンプ地の近くの個人商店が閉まっていたので、街道筋を少し南下して木之本のスーパーへ。夕方の光も手伝ってか、旧道の角から駅の方へ緩く下る道のパースペクティヴに形容しがたい美しさがあった。
集い開催地のスキー場。それぞれ思い思いのルートでやってきて一夜をここで過ごす。平坦に見えても少し傾いているところがほとんどで、設営が微妙に大変。蚊もそれなりにいる。
寝床の確保がひと段落すると、輪になっての飲み食い談笑が始まる。この季節の焚き火の役割は主に照明と虫除け、そして場の中心をつくること。
今回の自分のシェルター。2.8×2.8メートルの軽量タープを折り返し、自転車を支柱にして屋根をかけた。後で気づいたのだが、シートポストを伸ばせばもっと居住性は上がる。蚊帳は必須。
屋根なし、食卓ネット的な蚊帳で割り切った、真夏×平地スペシャルの寝床。洗濯物を干すことの重要性も伝わってくる。
ミニマルなシングルウォールシェルターを用いたケース。閉鎖空間を確保できるメリットは大きいが、結露が凄い。赤いガイラインの視認性がとても低く、参加者のほぼ全員を躓かせて不評を買っていた。
参加者たちの自転車。ホイール規格は700Cが最多、次いで650B、一人は26インチ。みな積載はコンパクトで、大型サドルバッグ使用率は低い。
解散後、自分を含む3人は未舗装路を探索しつつ敦賀まで出てみることに。がっつりサイクリングは久々という仲間は最初に入った小山のヒルクライムでヘロヘロになっていた。いわく身体が放熱のやり方を忘れている、と。
尾根筋に取りついてちょっと行くと路面は快いグラベルに。
木蔭のグラベルを進んでゆく。途中で自転車を取り替えたりも。
開けたところで一休み。向こうに琵琶湖が見える。
里への下り。この後、一番細いタイヤ(32mm?)の自転車のパンク、居心地のよい蕎麦屋でのランチを経て敦賀行きのモチベーションは消滅。
余呉湖観光館でソフトクリームを食べた。
余呉駅から二人は輪行。雲が湧き、山からゴロゴロ音がする。昼下がりは流石に蒸し暑く、駅舎の待合所よりプラットフォームの方が涼しかった。
「新快速」で南下(終点の網干がどこかを知って関東民は驚いた)。米原で降りる仲間と入れ替わりに隣になった大阪のおっちゃんとの会話が楽しかった。ユースホステル全盛期世代の、そこに馴染めなかったサイクリストさん。自分は湖南エリアで知人に挨拶してから、大津でホテル泊。湖畔のドイツ料理店のビールとスペアリブがとても美味しかった。
翌日、峠を越えて京都へ。夕方の新幹線まで市内を散策して過ごした。

今回の西の旅、その心象の中心を占めたのはやはり琵琶湖であった。すぐ横に見えていても、あるいは山陰に隠れて見えなくても、そこにそれがいつもいてくれるということが、ずっと意識の傍らにあった。湖にはどこか寂しさを感じてしまうが、琵琶湖くらいの大きさになるとそんなこともなく、広く穏やかな水面にこちらの心も鎮められるような感覚がある。

こうして自分で世界の感触を確かめる時間をもっと持たなければ、と思わせてくれる旅だった。

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