なぜ自転車を”漕ぐ”と表現するのか

「自転車を漕ぐ」という表現がなぜ使われるのかについては現時点でインターネット上だけでなく、書物においてもこの情報に関する明確な説明が見つからない。インターネット上では幾つかの情報が散見されるが大部分は曖昧な仮説や推測に依存しており、事実に基づく考察はほとんど見当たらない。そもそも自転車に乗る行為を「漕ぐ」と表現するのは日本語特有であり、英語では “ride a bicycle”、フランス語では “faire du vélo” となり、それぞれ直訳すると「自転車に乗る」または「自転車を行う」の意味となる。では、なぜ日本語では自転車に「乗る」ではなく「漕ぐ」という表現が使われるのだろうか。

 


出典:「漢字/漢和/語源辞典:OK典」https://okjiten.jp/sp/kanji2564.html

まず”漕ぐ”という動詞に使われている「漕」という漢字の成り立ちを見ていく。そもそも「漕」とは、舟から荷物を降ろす際に、互いに舟のバランスを取りながら荷物を運ぶことを意味する漢字である。「流れる水」の象形は、水を示す波形の線が描かれており、水の流れを表現している。一方「袋の両端をくくった」象形は、袋の形をした図形で、中に物を入れて持ち運ぶことを意味している。この二つの象形に加えて「口の象形」があり、互いに向き合うという意味が込められている。これらの象形が組み合わさって「漕」という漢字が成立したと考えられている。

中国から伝わった「漕」という漢字の原義からは「自転車を漕ぐ」に直接つながる要素は見当たらなかった、日本語である”漕ぐ”という動詞はどうだろうか。”漕ぐ”という動詞は元々は「船を漕ぐ」という意味だ。「船を漕ぐ」は漢字「漕」の背景を反映して船を進めるために行う”身体的動作”と船が目的地に向かって進む”状況”の二つを表している。日本語には古くから比喩的な表現を活用し、新たな表現や複雑さを生み出す文化が根付いている。例えば、「足を運ぶ」や「道を切り開く」といった表現は、このような文化的背景の下で生まれている。「自転車を漕ぐ」という表現も「船を漕ぐ」が表す”身体的動作”と”状況”の比喩的表現として生まれ、その後一般的な表現として確立されたのではないか。

「富士見の渡し」(葛飾北斎 「冨嶽三十六景色 御厩川岸 両國橋夕陽見」)
出典:「Wikipedia」https://ja.m.wikipedia.org/wiki/

船を漕ぐ際に行われる身体を前後に揺らす”身体的動作”から居眠りすることを「船を漕ぐ」と表す比喩的表現が生まれている。一方「自転車を漕ぐ」の表現は舟を効率的に進めるために行う身体をリズミカルに繰り返し動かす”身体的動作”から生まれた比喩的表現だったのではないだろうか。また、「船で漕ぐ」を「目的地を目指す」”状況”として捉えた場合でも「自転車を漕ぐ」は同じ”状況”を表していると言える。「自転車を漕ぐ」という表現は「船を漕ぐ」が表す”身体的動作”と”状況”のどちらも組み合わさった表現として考えると「自転車を漕ぐ」という表現は非常にうまく比喩的表現されていると言える。

前述で「船を漕ぐ」が表す”身体的動作”の比喩的表現として「自転車を漕ぐ」という表現が生まれたのではないかと示した。しかしながら、現代の自転車の操作は、上半身を動かさず、左右の足を交互に動かしてペダリングという回転運動を行うことで前進する。船を漕ぐ際の”身体的動作”とリズミカルに動かす等の類似点はあるものの、相違点が目立つ。しかし日本で最初に普及し始めた自転車は、足の動作は回転させるのではなく踏み込むような形、そして手はまるで船を漕ぐように使うことで前進する自転車だったのである。

作者不明「しん坂くるまつくし」明治3年頃で描かれたラントン型自転車
出典:「山内閑子 (2006). 明治時代初期錦絵に見る乗り物と車椅子.
日本ジャポニスム学会誌, 6, 46-60.」
http://www.f.waseda.jp/s_yamauchi/docs/JJSWSA
T_06_46_2006.pdf

亨保17年(1884年)に世界最古の自転車が新生陸船車として日本で発明されたが、一般普及には至らなかった。日本で自転車が普及し始めたのはヨーロッパでミショー型自転車の隆盛期を迎えていた1870年(明治3年)頃であり、当時の日本では船を漕ぐ動作に非常に似た動作で進むラントン型自転車が初めて一般普及した自転車として知られている。

ラントン型自転車は、手と足の往復運動を後輪に直接伝えることで進むことが出来る。左右の車輪は独立して動き、パワーバランスを調整して旋回する。これは明治時代に行われていた船の旋回方法と共通する部分がある。日本の初期の自転車の”身体的動作”は船を漕ぐ際に行われる”身体的動作”に非常に近かく比喩的表現として生まれるのは自然な流れだと考えられる。もし、日本で最初に普及した自転車が手を使って漕がないミショー型自転車だった場合「漕ぐ」という表現は使われなかったかもしれない。

これまでの考察から「自転車を漕ぐ」という表現は、日本語の比喩的表現の文化と日本の自転車の歴史が船を漕ぐ動作に似ている自転車から始まったことが絡み合って生まれた表現だと推測することが出来る。しかし、本稿もあくまで一つの推測に過ぎないため、さらなる研究や証拠が必要であることを明記しておく。

参考文献:

山内閑子 (2006). 明治時代初期錦絵に見る乗り物と車椅子. 日本ジャポニスム学会誌, 6, 46-60. http://www.f.waseda.jp/s_yamauchi/docs/JJSWSAT_06_46_2006.pdf

ラントンが自転車の火付け役. 自転車の歴史探訪http://www.eva.hi-ho.ne.jp/ordinary/JP/rekishi/rekishi11.html

大津幸雄 (1996). 日本自転車資料年表(江戸・明治編). 第1版. 日本自転車史研究会. Retrieved from http://www.eva.hi-ho.ne.jp/ordinary/JP/shiryou/shiryou.html

5 comments

  1. ボートのオールを漕ぐようなラントン型自転車が由来とはナルホドですね。私は自転車を漕ぐとは言わなくてペダルを漕ぐと言います。方言的なこともあるのかな?

    1. 論文の紹介をありがとうございます。日本語難しい〜笑

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