明治迅速測図で振り返る、川から川を繋いだ江の島サイクリング

梅雨の合間の土曜日、仲間と江の島へ出かけた。複数の川筋を辿るアップダウンの少ないルートで、昼頃から数時間のサイクリングだ。あまり写真も撮らなかったので、明治期の「迅速測図」上にルートを描画し、つい最近の体験を百数十年前の土地の姿に重ねて振り返ってみることにする。

多摩川から江の島へのルートの全容(マップ画像:農研機構農業環境変動研究センター ※以下、地図画像の出典は別記なき限り同じ)。

待ち合わせと出発は調布市内だったが、多摩川沿いを少し下り登戸へ橋を渡るところが気分的には今回のスタートだ。多摩川の支流である五反田川を登戸村から遡り、生田村を抜けて高石村へと走る。川が刻んだ谷を、現在は津久井道と小田急線が通っている。百合ヶ丘の駅の辺りが源流の一つで、ここを登って新百合ヶ丘の向こうへ越えると多摩川水系から離脱したことになる。

登戸村から五反田川の谷を高石村へ。

鶴見川水系の先鋒は麻生川(の支流暗渠)。これを下って現在の柿生駅付近をパスし、かつての麻生村で谷が開けると鶴見川への合流が近い。

現在の新百合ヶ丘~柿生~鶴川エリア。

麻生川の名が消える少し手前で南に折れ、鶴見川を渡って寺家村の方へ。里山風景が今も保存されている寺家川の谷戸が好きなのでそちらを通るのだ。小分水嶺を越えるところの切り通しも雰囲気がいい。少し東に進んで谷戸が切れる手前の左手に屋外ベンチ(&スポーツ自転車用のサイクルラック)を備えたコーヒー屋がある。

蛇行する鶴見川が削り残した寺家の里山を抜ける。
寺家村(現・寺家ふるさと村)への切り通し。

寺家村からは環状4号に乗って青葉台駅に向かう。恐らく鶴見川の支流のものであろう谷を詰めて小分水嶺を跨ぐと、反対側はしらとり川の谷になっている。

現在の青葉台エリア。

しらとり川が注ぐ恩田川を少し遡上し、すぐにその支流の岩川にスイッチ。これを上っていくと鶴見川水系から境川水系への分水嶺が待っている。

恩田村を経て長津田村の「高尾山」へ。
分水嶺の坂。ここを越えるとはっきりと多摩の丘陵地を抜けた感じがする。

境川水系に入るということは、東京湾に注ぐ地形から相模湾に注ぐ地形に移行するということだ。何度かやっていると、ここでもう湘南の海が感じられる気がしてくる。そして江の島までは境川に沿って下るだけなので(鉄道線路などで多少の迂回は発生する)、道順について記すことはほぼない。

大山街道をちょっと走って境川に到達。
境川の西の尾根筋を現在の国道467号線が走る。その西は引地川。
南北に何本もの川が、なかなか交わることなく並走しているのが面白い。
境川は高座郡と鎌倉郡の境界だった。
和泉川が合流。
さらに宇田川(この地図では「深谷川」)が合流。
東海道藤沢宿エリア。
戸塚方面から来た柏尾川を合わせると海はもうすぐ。ルートの線は境川から外れているが(理由は失念)今もそのまま辿れる。
相模湾に出る。明治期はまだ砂浜がとても豊かだったことがうかがえる。

この日はほとんど晴れることがなく(というか出発前に短いながらひどい土砂降りに見舞われた)、曇り空のため時間の進みが曖昧で、特に境川に至ってから海までのゆるやかな「下り」には、どこか船旅のような心地良さがあった。境川は多摩川のように谷が広いわけではなく、そこそこ長い割に閉ざされた感じがして正直さほど好きではなかった(でも便利だから使っていた)。今回は天候だけでなく田植えが済んだばかりという時期も良かったのだろう、川と水田に挟まれた区間の多いサイクリングロードは、実際に水の上を駆ける道となっていた。

江の島への橋から伊豆方面を望む。

海に出た自分たちは江の島に渡って食堂に入り、古びた建物の二階の座敷でトンビの声を聴きつつ海鮮丼を味わった。入店前にパラつき始めていた雨は、やがてすっかり本降りになった。水の道のサイクリングにぴったりの締めくくりだ。

仲間が後でSNSに投稿していた、1890年代の江の島の写真(日下部金兵衛撮影)

帰路は多摩川まで輪行となったが、日没後の辺りの地形は明るい車内からはほとんど分からない。現在に閉じ込められるのは寂しいものだ。ルートをプロットするのに古い地図を選んだのは、現在だけを走ったわけではないこと、その証としてでもあるように思う。そしてそれは自分の時間的透視能力をまた少し高め、次のサイクリングをきっとより面白くしてくれるのだ。

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