トーマス・スティーブンスの自転車世界一周冒険譚

自転車乗りなら自転車で世界一周を一度は夢見るかもしれない。だが実際には困難極まりない。時間、費用、体力、気力、いずれも途方もないからだ。そんな偉業を世界で初めて成し遂げたのが、イギリスのトーマス・スティーブンス(Thomas Stevens)だ。しかも、時は19世紀末、ペニー・ファージングと呼ばれる前時代的な「だるま型」自転車だったのだから、驚いてしまう。

ペニー・ファージングに乗るトーマス・スティーブンス(Wikipediaより)

この自転車旅行は1884年4月から1886年12月の2年8ヶ月間に渡って行われている。サンフランシスコを出発して東周りに自転車で走行し、途中の大西洋やインド洋などは船を利用。実際に自転車で走行した距離は約13,500マイル(21,726km)で、地球の半周に相当する。最後の訪問国は日本であり、横浜から太平洋を渡ってサンフランシスコに帰還している。

トーマス・スティーブンスの自転車世界一周の経路(Wikipediaより)
(この地図では東京と記されているが、実際には横浜から出港している)

一連の旅程は書籍「Around the World on a Bicycle」にまとめられている。第1巻「From San Francisco to Teheran」第2巻「From Teheran to Yokohama」、合計1,000ページを超える大著だ。平易だが詳細な旅行記に雰囲気のあるイラストが100点以上添えられ、巻末には全行程の滞在先が掲載されている。著作権は失効しており、インターネット・アーカイブなどで無償で閲覧できる。

The Start(第1巻 P.3)

スティーブンスは最小限の荷物だけを持って、単身で自転車のペダルを漕ぎ続けている。イラストを見る限りは随分と軽装だ。宿屋や食堂を利用することが多かったようだが、何回かは野営もしている。もちろん、ナイフと拳銃は必携。山賊や野獣に襲われることもあるからだ。人里離れた山岳地帯や砂漠の横断、そして言葉が通じない異国の地での苦労は想像を絶するとしか言いようがない。

Encounter with a Mountain Lion(第1巻 P.41)

前輪が巨大なペニー・ファージングは高速に走行できる。しかし、バランスを崩し易く、ブレーキが効かないなど安全性は低いと言う。道路も今日のような舗装道路ではなく、道なき道を走らざるを得ないこともあっただろう。しかも空気入りタイヤが実用化される以前なので、激しい振動で乗り心地も悪かったと思われる。つまり、自転車で走ること自体が随分と大変だったはずだ。

Meeting the “Bulgarian Express”(第1巻 P.191)

一方で、大自然に親しみ、絶景に驚嘆し、異国情緒を楽しむ喜びも多かったようだ。ペダルを漕ぐに連れて景色が変わり、見知らぬ街を訪ねては風俗の異なる人々と交流する。毎日が刺激と驚嘆に溢れていただろう。時には現地の自転車愛好家の歓迎を受け、情報交換に勤しむ幸せもあった。さらにはサイクリングの講義をするなど自転車文化の普及にも努めている。

A Lecture on ‘Cycling’(第2巻 P.33)

そして日本を訪れた1886年は明治19年、多くの人が着物を着て髪を結い、まだまだ外国人も自転車も珍しい頃だ。長崎から横浜へと移動するスティーブンスは、同じアジアでも中国に比べて日本は清潔で綺麗だと絶賛する。道路もよく整備されていたらしい。京都や富士山、あるいは魚や日本酒、温泉といったお馴染みの地名や風習が次々と登場する。100年以上前のことなので並行世界の異国物語のようでもある。

The Himi-toge Toll-house(第2巻 P.434)
Jinrikishas now become quite frequent(第2巻 P.440)
I pull up at a village Yagoya(第2巻 P.452)
I wheel away from Okoyama(第2巻 P.456)
Rounding Lake Biwa(第2巻 P.462)
The Wrestlers(第2巻 P.468)

このようにトーマス・スティーブンスの自転車による世界一周は、世界各地の風土と文化を伝えるとともに、人力の挑戦としても意義深い。ジュール・ヴェルヌの小説「八十日間世界一周」(1873年)が同じようなルートでありながら、鉄道や蒸気船でひたすらスピードを追い求めたこととは大違いだ。新型コロナウイルス禍で渡航制限が厳しい今日だからこそ、その価値が蘇えるように思える。

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