ブルース・スターリング(Bruce Sterling)は、1997年にヒューゴー賞に選ばれた中編小説「自転車修理人」を著している。サイバーパンクの開祖らしく、高度に進化した果てに壊滅的な破局を迎え、朽ち果てつつある近未来の都市が舞台。そのような世界で自転車とその修理人がどのように描かれるのか、文中から抜粋しよう。ちなみに、モンティ・パイソンの「自転車修理マン」とは何の関係もない。
まず、冒頭に主人公であるライルの日常が描かれる。自転車塗装に明け暮れているらしい。
繰り返しキンキンと鳴る音に、ハンモックで寝ていたライルは目覚めた。工具の散らかった自分の自転車店の通路に滑り降りた。
ライルはぴったりと体にはりついた半ズボンの黒い伸縮材をたくしあげ、作業台にのっていた昨日の油まみれの袖なしシャツを手にとった。
ライルは置き忘れてあった下地剤の缶を飛び越え、着地すると床が静かにドーンと鳴った。
仕事に追われて、店をちゃんと片づけずに寝てしまったのだ。注文によるエナメル塗装は実入りはよかったけれど、めちゃめちゃに時間をとられた。独り暮らしで独りで仕事をしていおかげで、くたくただった。
そこへ郵便配達員がやってくる。届いた荷物を巡って物語は展開するが、本稿ではそれは重要ではない。
制服姿の配達員の若者が集配用三輪車のわきで、スポット溶接したライルのドアノッカーの長く垂れ下がった紐をリズミカルにひいている。
ライルは若者の集配用三輪車の改造もしてやったことがある。確か新しい緩衝器とローギアだったような気がする。
配達用三輪車を見た。「前輪をなおしたほうがいいよ」
「もうメールオーダーの修理仕事はやめた。面倒くさいし、だまされてばっかりだもの」
若者はリクライニングシートにもぐりこむと、三輪車をこいで、熱でひび割れたアトリウム広場のタイルの上を去っていった。
金持ち向けのエナメル塗装は高収入になる。だが、それは本当の自転車仕事ではないと言う。
それから作業スタンドの万力で固定したゆうべのフレームのエナメルの仕事を調べた。フレームはよさそうだった。午前三時に、ライルはまさにぴったりの幻覚的な明怖さをもってペンキによる細部の仕事にとりかかった。エナメル塗装はいい金になったし、金がひどく必要だった。だが、それは本当の自転車の仕事ではなかった。真実味に欠けていた。エナメル塗装は所有者のエゴの問題だった。エナメルの嫌な点はそこだった。ペントハウス階には、〈街頭の美学〉にのめりこんで、自転車オタクに高い金を出してマシンの装飾を頼もうという金持ちの子供も何人かいた。だが、派手な美術など自転車にはなんの役にも立たなかった。自転車に役立つのはフレームの調節であり、しっかりしたケーブル保護であり、多段変速ギアの正しい張りだった。
ヘッドマウント・ディスプレイを付けてVR自転車レースに興じたりもする。今日のZwiftだ。
ライルは固定した自転車のチェーンを店のはずみ車にかけ、グローヴとヴァーチャル・ヘルメットをして、二〇三三年のツール・ド・フランスを半時間やってみた。つらい登り坂は集団の後方につけ、栄光の瞬間には集団の中の同国人から抜け出して、アルド・チポリーニと肩を並べた。チャンピオンはポストヒューマンの怪物だった。コンクリートブロックのようなふくらはぎ。フルインパクトのボディスーツもない安っぽいシミュレーションとはいえ、ライルにはチポリーニを追い越そうなどと考えないだけの分別はあった。
人工知能ムークが最新のレース結果を伝えてくれる。強引に見当違いを言うのはSiriに似ている。
「ミスター・センジアルタは液体錘内蔵でバッキーボールのハブ緩衝装置をつけたスリー・スポークのセラミック車輪を使いました」ムークは言葉を切って、礼儀正しく会話の反応を待った。「ケブラーのマイクロロックのついた通気性スパイク靴をはいていました」といい添えた。
母親とのビデオ・チャットで恋愛よりも自転車が大事であることを力説する。
「でも、ママ、ぼくに興味をもってる人なんていないんだよ。誰もさ。スラム街に住んでいる自営の熱狂的ドロップアウトの自転車整備士とセックスがしたいといって、うちのドアをたたきにくる女性なんていないんだから。そんなことがあったら、真っ先に連絡するからさ」
「ぼくはもう忙しくてロマンスの暇なんかないんだ。自転車のことを知りたいだけなんだよ」
「ああ、ぼくは働いていたけどね、仕事がほしいなんて一言もいったことはないんだよ、ママ。ぼくは自転車のことを知りたいっていっただけだ。大きな違いがあるんだからね!どこかのひどい自転車フランチャイズのための負け犬の給料の奴隷になんかなれないよ」
ライルは慣性ブレーキというメカニズムを研究している。今日の回生ブレーキのことだろう。
それから壁面スクリーンの前に落ち着いて、慣性ブレーキにとりかかった。ライルは慣性ブレーキが大金につながることを知っていたーいつか、どこかの、誰かにとっての話だが。この装置には未来の香りがした。
ライルは宝石職人用のルーペを片目にはめて、順を追ってブレーキにとりかかった。圧力プラスチックのクランプとリムが、ブレーキのエネルギーを蓄電気に変えるところが好きだった。ついにブレーキで失ったエネルギーをとりこみ、ちゃんと利用できる方法ができるのだ。厳密には違うものの、それはほとんど魔法といっていいものだ。
ライルの計算では、エネルギーを捕獲して、直接的直感的筋肉的な意味で人間のペダル漕ぎエネルギーとそっくりに感じられるやり方で、そのエネルギーをチェーン駆動にもどせる慣性ブレーキには、大きな市場があるはずだった。バッテリー駆動のモーペッドのゴロゴロ、ブンブンというやり方ではないのだから。うまくいけば、乗っている人間にはまったく自然な感じで、同時に超人間的に感じられるだろう。単純なものでなければだめだった。販売店の店員が手にした工具で修理できなければならない。あまりに華奢で、しゃれたものにするわけにはいかない、そんなことをすればまともな自転車の感じはしなくなってしまう。
自転車とテクノロジーの関係について考察を巡らすのは、本稿的にはハイライト。
もちろん、チップ駆動でなければならないが、同時に自転車競技の精神にものっとっていなければならない。いまでは、緩衝装置やブレーキや反応性ハブなど多くの自転車にチップが搭載されているが、自転車はコンピュータではなかった。コンピュータは中身がブラックボックスで、仕組みが目に見える大きな部品などなかった。逆に、人々は自転車には感傷を抱いている。こと自転車となると、人々は妙に寡黙に、伝統的になるのだ。だからこそ、自転車市場はリクライニング式を本当に支持できなかったのだろう、リクライニング・デザインのほうが機械的に大きな利点があるのに。みんな自転車をそれほど複雑なものにしたくないのだ。コンピュータのように、悪態をつき、愚痴や泣き言を並べて、たえずグレードアップを迫られるのが、いやなのだ。自転車は個人的なものだった。自転車は洋服のように身に着けたいものなのだ。
見知らぬ女が自転車の修理にやってくる。この女が大波乱を引き起こすのだが、本稿では触れない。
ライルは女の自転車を調べはじめた。シリアル・ナンバーはすべて取り除かれていた。いかにも地区らしい。「まずやらなければならないのは」とライルはてきぱきといった。「ちゃんとあんたの体に合わせることだ。サドルの高さを合わせ、ペダルのストロークとハンドルバーを合わせる。それからテンションを調節して、車輪をまっすぐにし、ブレーキパッドとサスペンション・バルブを調べ、シフトを調節し、ドライヴトレーンに潤滑油をさす。いつものことさ。あんたにはこれよりましなサドルが必要だねーこのサドルは男性の骨盤に合わせてあるから」
「あんたにはこれが必要だ。中級品のゲル・サドルだよ。好きなのを選んで、明日の朝までに届けてもらおう」
ライルは女の腕と、胴の長さを測り、膝を落として股から床までの股下を測った。メモをとる。「これでよし。明日の午後にきて」
最後の場面、大騒動を引き起こした郵便物の送り主エディとのビデオ・チャット。
「今度の女性のルームメートとはうまくいってるのか?」「うん、彼女ははずみ車を漕ぐのもうまいし、自転車の仕事に専念させてくれてる。自転車業はこのごろすごく好調でさ。合法的な電源と、もう少しフロアスペースと、本物の郵便配達サーヴィスまで手に入るかもしれない。新しいルームメートには役立つ知合いが大勢いるんだ」
郵便物の扱いが気になって仕方がないエディへの、素っ気ない返事で物語は終わる。
エディはミモザをすすった。「ライル」
「何だい?」
「あのセットトップをつないで、のぞいたりしてないよね?」
「ぼくのことは知ってるじゃないか、エディ」とライルはいった。「レンチをもったただの若造だぜ」
幸か不幸か、破局には至っていないかもしれないが、20年前の近未来小説と今日の状況の親近性に驚かされる。主人公の恋愛観は今日のオタク的でもあり、テクノロジーに対する身体性は現代的な論点だ。未来においても身体に即して自転車を調整している。この小説を収めた書籍のタイトル「A Good Old-fashioned Future」が示す「古き良き未来」でも、自転車はかく在るらしい。