自転車カメラとしてのP20 Pro

これまでサイクリングでの写真やビデオの撮影はiPhone Xを使っていた。これが最近はファーウェイ(Hauwai)のP20 Proだ。この評判の高いカメラは、泣く子も黙るライカの高性能ユニットを3つも背面に備え、ニューラル・ネットワーク処理ユニット(NPU)による高速な人工知能(AI)が絵作りを司る。これらが束になって世界を切り取った写真は凄まじい。重厚長大高価な一眼ナントカが霞んでしまう。

この夏一番の一枚は、夏祭りの夜。P20 Proの夜景モードでは数秒間かけて撮影を行う。手持ちでの長時間露光ながら、手ブレでボケるどころか、メリハリのついた印象的な写真になった。LEDライトからネオン管まで様々な光の様相を捉えており、動きの残像や暗い場所の鮮明さには非現実的な美しさに溢れている。何気なくシャッターを切るだけで、これほどまでに詩的で絵画的な情景が立ち現れるのは驚きだ。

あるいは、早秋のコスモス。繊細で複雑な黄色い蕊(しべ)、伸びやかなピンクの花びら、そしてお約束のようにボケ(Bokeh)る緑の背景。これも何も考えず、ただカメラを向けてシャッターを切っただけだ。フォーカスは素早く決まり、色は鮮やかに整えられる。一目で綺麗な写真だと思うだろう。だが、何か不穏で不自然な雰囲気が漂っている。完璧でありながら、細部に悪魔が宿る迷宮のようだ。

P20 Proはカメラが捉える被写体や風景をリアルタイムに判断して、最適な絵作りをする。空はどこまでも青く、木々は瑞々しい緑となる。人物なら生気に満ちて、食べ物は香り立つ。アレコレ考えなくても、記憶を超えた夢の世界が現れる。だが、やがてカメラに馬鹿にされている気分になる。ほら、こんな写真が撮りたいんでしょ?と言われているのだ。これこそがAIであり、退屈な未来が垣間見える。

シンギュラリティの悪夢はともかく、本題に戻ろう。サイクリングのお供としてのP20 Proは素晴らしい。音量ボタンをダブル・プッシュしてカメラ起動、さらに音量ボタンを押せば撮影、と一連の操作がスムース。そして、手ブレ補正も的確で、簡単に美しい写真が得られる。この手軽さは気ままなポタリングにピッタリだ。夕暮れ時に突如現れたキタキツネにも余裕をもって挨拶できる。

一方、写真の素晴らしさに対して、ビデオは必ずしも良くない。被写体判断や後処理を1/30秒以内に実行できないのだろう。ご自慢のAI手ブレ補正もビデオに対しては力及ばないようだ。以前と同じようにハンドルバーにP20 Proを取り付けて走行撮影した。アダプタが堅牢になったので手ブレはiPhone Xよりマシだが、実用にはほど遠い。ただし、P20 Proらしいコントラストと彩度の高い画質はビデオでも健在。

P20 Pro最大の欠点は、これがスマートフォンであり、Androidであることだ。カメラとして手に持ちにくく、撮影や設定の操作に苦労する。同時にP20 Pro最大の強みは、これがカメラでないことだ。ライカのレンズやセンサーが高性能であるにせよ、強力なAIチップと卓越したアルゴリズムこそがコンパクト・デジカメを遥かに凌ぐ高画質を叩き出す。これはカメラ・メーカーにはできない発想だったわけだ。

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