穏やかな夜、自転車に乗って、大きな公園沿いの長くゆるやかなカーブを、重めのギアで漕いでゆく。カヌーの左、右、そしてまた左側の水をオールでかくように、脚から脚へひと漕ぎずつ力の波をつないで、暗いアスファルトの表面を進む。一つ二つ重いギアに入れ、腰を上げて立ち漕ぎになれば、脚はいっそう大きなストロークで世界を押しやり、その手応えを私のもとへ返す。このひとつながりの道具と身体は、うねるように泳ぐ魚のようだ。
こ・ぐ【×漕ぐ】
デジタル大辞林(小学館)
[動ガ五(四)]
1 櫓ろや櫂かいを使って水をかき、舟を進める。「ボートを―・ぐ」
2 足や腰を曲げたり伸ばしたりして、乗り物を進めたり振り動かしたりする。「自転車を―・ぐ」「ブランコを―・ぐ」
3 深い雪ややぶの中などをかき分け、道を開くようにして進む。「新雪を―・いで頂上を目ざす」
4 (「舟をこぐ」の形で、1の動作に見立てて)座ったままからだを前後左右に揺らして居眠りをする。「電車の座席で舟を―・ぐ」
ペダルを踏んで自転車を前に進めることを、なぜ日本語で「漕ぐ」と言うようになったのか。学術的にはまだ突き止められていないようだが、私の感覚では、舟を漕ぐこととの重なりは疑いようのないものだ。この用途において「漕ぐ」よりふさわしい動詞はない、とさえ思う。自転車「で」「走る」行為も、「泳ぐ」と言う方が正確かもしれない。科学者の目から見ても、自転車を漕ぐ人間とは陸を泳いでいるような存在だという。
[Bicycles] turn humans into this hyperefficient terrestrial locomotor because they make being on land more like swimming
大地の上をいわば泳げるようにしてくれる自転車に乗ることで、人間は飛び抜けたエネルギー効率を誇る陸上移動者になるのです。
比較生理学者Tyson Hedrick
(後述するScientific Americanのオンライン記事より。日本語訳は引用者による)
次に引用する画像は、オクスフォードで工学を教えていたS. S. WilsonがScientific American 1973年3月号に掲載したもののアップデート版で、同誌の2025年10月14日付けの記事 “A Classic Graphic Reveals Nature’s Most Efficient Traveler”(ある古典的なグラフが明かす、自然界で最も効率のよい移動者)に置かれている。ターコイズ色のエリアに入る「飛ぶものたち」はいずれも、移動のエネルギー効率(縦軸)では二足歩行する人間にかなわない。ピンク色のエリアの「歩くものたち」「走るものたち」では、馬だけが我々を上回っている。紫色のエリアの「泳ぐもの」には鮭だけが例示されていて、その移動効率は馬よりもよく、しかし自転車で「陸を泳ぐ」人間にはおよばない(最優秀賞はヴェロモービルに乗った人間に贈られる)。

※英文キャプションはScientific Americanの記事のもの
さて、この陸泳者というモードの利用をもっと増やし、移動のエネルギー効率の高い社会にするには何が必要だろう? 前掲のグラフのオリジナルが載った1973年の記事で、Wilsonは先見の明を感じさせるこんな案を出している。
The possible inducements are many: cycleways to reduce the danger to cyclists of automobile traffic, bicycle parking stations, facilities for the transportation of bicycles by rail and bus, and public bicycles for “park and pedal” service.
自転車利用の誘因材料の候補は多岐にわたる:車の流れが自転車利用者に及ぼす危険を抑える自転車道、自転車の駐輪場、鉄道やバスで自転車を輸送するための設備、それから「パーク・アンド・ペダル」(車で来て市街地では自転車に乗る)サービスのための公共の自転車などだ。
Wilson, S. S. “BICYCLE TECHNOLOGY.” Scientific American, vol. 228, no. 3, 1973, pp. 81–91.
(日本語訳は引用者による)
編著書『世界に学ぶ自転車都市のつくりかた』(おかげさまで先日2歳の誕生日を迎えました)で詳述したように、こうした施策を同時期から実践し洗練させていったのがオランダの諸都市やコペンハーゲンであった。それが(持続的に)できなかった英仏や北米の多くの都市は、モータリゼーションの天下で日常自転車文化が壊滅したのち、今世紀の初め頃から、その再興に急ピッチで取り組んでいるところだ。日本では「放置自転車」「対策」としての駐輪場整備の他はほとんど何も起こらず、自転車利用は全都道府県で減っている。子どもから高齢者まで幅広い層の人が自ら使える「陸を泳ぐ」道具の保有台数も、ここ15年でおよそ3000万台も減ったと推算されているのだ。
