サーフ ブンガク カマクラを訪ねて

筆者は江ノ電を愛している。そしてASIAN KUNG-FU GENERATIONと「サーフ ブンガク カマクラ」を愛している。

サーフ ブンガク カマクラとは、日本を代表するロックバンドであるASIAN KUNG-FU GENERATION(以下、アジカン)がリリースした、江ノ電の各駅をテーマにした楽曲が駅順に収録されているコンセプトアルバムである。

2008年にリリースされた作品では実在する15駅のうち10駅が楽曲になっていたが、晴れて2023年に残りの5駅分の楽曲とかつての10曲を再録したものが完全版としてリリースされて、バンドは現在全国津々浦々をアルバムツアーとして回っている。幼い頃からアジカンの大ファンである筆者もツアー最終日の鎌倉公演に参加予定である。

本記事はアジカンのサーフ ブンガク カマクラを聴きながら、江ノ電の各駅をサイクリングしていく旅の記録である。

https://www.enoden.co.jp/train/ より画像を引用

自転車は小回りが効く乗り物であり、移動の速さを自らの意志で調整できるため、車窓からの風景よりも詳細に湘南鎌倉地域の風景を捉えることができる。そして世の常として内側にいると内側のことは見えてこないので、自転車に乗って江ノ電の路線に沿ってライドすることで、新しい眼差しで江ノ電と「サーフ ブンガク カマクラ」を考察出来る目論見があった。

藤沢から鎌倉まで寄り道をせずに江ノ電沿いをサイクリングをすれば1時間少々の距離だが、近隣には江ノ島などの風光明媚な海の風景や、鎌倉大仏を代表とする寺社仏閣があるのでゆっくりと街の風情を味わうことが出来る。道幅が狭い地域もあるが高低差が無く走りやすい。そして何より海風に吹かれながら海岸線をサイクリングするのはとても気持ちが良い体験だ。

藤沢駅

アルバムの曲順である1曲目の藤沢ルーザー(藤沢)から15曲目の鎌倉グッドバイ(鎌倉)に沿ってサイクリングを行なっていくことに決めたため、スタートは神奈川県の藤沢駅とした。

歌詞の中に登場する「3番線のホームから手を振るよ」は江ノ電が単線であることに加え、当時バンドの拠点が横浜市であったため、そこからアクセスしやすいJR藤沢駅であると考えられる。

駅前はそこそこ栄えていて、中型のショッピングモールがあった。街の機能が一箇所に詰まってる地方都市らしい風景である。

藤沢ルーザーという曲の歌詞は、ボーカル後藤正文のサラリーマン時代の体験が元になっている。2008年に録音されたヴァージョンでは大学卒業後に働きながらバンド活動をしていた後藤の葛藤や焦燥が如実に現れていたが、2023年版においては過去を懐かしむようなザラつきが取れたサウンドになっている。

駅前には長谷駅方面へ向かうバスもあったが、周辺のレンタサイクルを探して自転車をピックアップし、江ノ電の藤沢駅へ向かう。駅周辺にあった高架沿いをサイクリングしながら石上駅へ向かった。

石上駅

石上駅は藤沢駅の目と鼻の先にある。周辺は閑静な住宅街といった様子。 先を急いでいたのであまり探索できなかったが、石上ヒルズという曲で歌われているこの街には丘があるようだ。 元ネタはWeezerのBeverly Hillsという楽曲で、アルバムの中でも一際パワーポップと初期アジカンへの原点回帰を感じる。

柳小路駅

石上駅から線路沿いを更に真っ直ぐ進むと柳小路駅へ辿り着く。

この駅の曲にも歌詞にWeezerのBuddy Hollyという曲名が登場する。「午後からは海の風になって 君らしく踊ればいいじゃない」という歌詞の通り、少しずつ海の方へ向かっている。

江ノ電沿いの道にはそこそこの人通りがあって、鉄道が生活に近いことを伺えた。土地柄なのかサーフボードを自転車で運搬している人が増えた。スイムスーツで自転車に乗っているおじさんが最高にクールだった。

鵠沼駅

藤沢駅以来の2008年リリース時から曲が存在する駅に再びやってきた。駅の入り口は地下に潜ったところにある。 これまでずっと線路脇を走ってこれたが、遂に川とぶつかり、大きく迂回することになった。境川にかかる境橋を渡る。

その途中で何度かロードバイクに乗った人とすれ違った。サーフィンのイメージが強いが、サイクリングも盛んな地域であることを身をもって実感した。

湘南海浜公園駅

駅と対応する曲は西方コーストストーリーという曲名で、西方という旧地名が使われている。

江ノ島に近付いてきた。駅舎が海小屋のような様子である。駅前の踏切で外国人観光客が写真を撮っていた。おそらく鎌倉高校駅前のスラムダンクの聖地と場所を勘違いしていたのかもしれない。

江ノ電ならではの細い道がようやく現われ、次第に名物である生しらすを食べれる店がちらほら登場してきた。

江ノ島駅

最初のキーポイントである江ノ島駅に到着。

神奈川県屈指の観光地なだけあって、これまでの駅と比較にならないくらい沢山の人がいた。駅前には飲食店や土産物屋が並ぶストリートがある。コロナ禍には、がらんとしていた江ノ島も、ようやくかつての賑わいを取り戻している。外国人観光客も増えた。夏の盛りにはもっとたくさんの人がいるので、その風景も知っている筆者にはまだまだ寂しく映る。自転車を降りて人と人の合間を掻き分け、江ノ島へ向かった。

快晴の日には海の先に富士山が鎮座しているが、生憎の曇りで何も見えなかった。陸から江ノ島へ繋がる橋は日本の橋100選に選ばれている。

浜辺に座って波打ち際をぼんやりと眺めた。秋の海は侘しい。波打ち際で談笑している家族連れやサーフィンを楽しむ若い男女を見ているうちに、波音を聴きながら強い孤独を感じた。 曲名になっている江ノ島エスカーとは、江ノ島の島の中に実在するエレベーターで、高低差のある江ノ島を楽に移動することが出来る。国内初の屋外エスカレーターだったらしい。

筆者は現在岐阜県大垣市に住んでいるが、作品がリリースされた翌週にも江ノ島へ赴きアルバム内のフェイバリットソングである江ノ島エスカーを聴いていた。大垣へ引っ越す前は神奈川県に住んでいたので、昨年も一昨年も毎月のようにわざわざ江ノ島までやって来て2008年版の江ノ島エスカーを聴いていたので、ある種の思い出の場所である。

感傷に浸りながら海沿いを移動し、次の駅を目指した。

腰越駅

飲食店やサーフ屋のある海沿いを抜けて、更に住宅街を越えると江ノ電が唯一車道を走る区間に辿り着く。都市に山に海にと、湘南地域の豊かな自然によって絶えず車窓からの景色を変える江ノ電だが、この区間はとりわけ面白い。車用の信号が電車にも適用されている。

ランナーの横を走る江ノ電。これほどまでに街に溶け込んだ電車を僕は知らない。

アジカンの歌詞には孤独や絶望を肯定する言葉の力がある曲が多いが、腰越駅に対応する腰越クライベイビーはその筆頭のような曲だろう。海を見ている時に感じた諸行無常が車輪の軋みや音楽と共に街の風景に溶け合っていく。

鎌倉学園駅

小さな街を抜けて再び路線は海沿いに繋がる。車道の脇から海岸に降りることが出来る階段の前で男子大学生たちがサザンオールスターズの曲をスマートフォンのスピーカーで流しながら酒を飲んでいた。

勝手にシンドバッドの歌詞に江ノ島が出てくることを思い出し、調べてみたところ、当時桑田佳祐さんは茅ヶ崎の辺りに住んでいたらしい。

駅の横にはスラムダンクの聖地である踏切があり、外国人観光客で溢れかえっていた。そこを横断しようとするトラックドライバーが車の中で煙草を吸いながら苛立っていた。

曲名の日坂ヒルダウンの「日坂」も古い地名であり、海を背にして踏切を進むと急勾配の坂がある。登った先にある珊瑚礁というカレー屋が筆者のおすすめなので、近くを訪れることがあったらぜひ行ってみてほしい。

七里ヶ浜駅

七里ヶ浜駅周辺になると、線路を横断する小道がちらほらと現れる。江ノ電に乗っていると住宅と住宅の合間を縫うように進むエリアだが、電車の外から眺めるとパッチワークのように街に江ノ電が縫い付けられているような印象を持つ。

偶然神輿を担ぐ人たちに遭遇した。普段海でスポーツを楽しんでいる皆さんのかけ声には力がある。一度タワマンが密集する地域で神輿を見たことがあるが、知的労働をしている人たちの弱そうな神輿と比べて随分と力強かった。法被が北条家の三つ鱗だった。

駅の近くのセブンイレブン付近から浜辺へ降りることが出来る。晴れている日にはたくさんの高校生たちがTikTokにアップロードするダンスを撮影している隠れホットスポットである。青春!

稲村ヶ崎駅

しばらく続いた海沿いの道から逸れて、車が一台ようやく通れるくらいの細道へ入る。古民家カフェやアンティークショップ、温泉もあり、鎌倉地域の中でも通向けのエリアだと思う。

アジカンの稲村ヶ崎ジェーンは桑田佳祐が監督をした映画「稲村ジェーン」を元ネタにしている。疾走感のあるパワーポップの楽曲の歌詞の中にビートルズの4人の名前が登場したり、オマージュの重ね塗りな一曲でもある。

極楽寺駅

関東の名駅100線にも選ばれてる極楽寺駅前には自転車屋さんがある。閑散とした雰囲気の中に独自のゆるさがある空間で、江ノ電の15駅の中でプラットフォームが最も侘しい駅でもある。 駅の真横には極楽寺がある。花の寺として有名で桜と紫陽花など季節に応じて花々が咲き乱れる。筆者が鎌倉の推し寺として観光を検討している友人知人に勧めている寺の一つである。

極楽寺ハートブレイクは6月の鎌倉が舞台となる別れがテーマの曲で、夏が始まる前の刹那が楽曲の中に現れている。

駅付近には巨大なトンネルがあり、高架から見下ろすことが出来る。江ノ電屈指のフォトスポットである。

長谷駅へ向かう道中にある力餅屋で甘味を楽しんだり、線路に密接する御霊神社から江ノ電を眺めたりと、鎌倉の情緒を愉しむことが出来る。

長谷駅

鎌倉大仏を本尊とする高徳院と十一面観世音菩薩が有名な「花の寺」長谷寺の最寄駅であるため、江ノ島と同じくいつも賑わっている。

長谷駅に対応する楽曲である長谷サンズは「馳せ参ずる」を捩っている。鎌倉武士、御家人までネタにする後藤の遊び心が遺憾無く発揮されている。歌詞に登場するペーパーバック・ライターはまたまたビートルズからの引用である。

駅前にある菓子屋のどら焼きが美味い。いつも足を運んで買ってしまう。

由比ヶ浜駅

神奈川県内で屈指の人気を誇る由比ガ浜海水浴場の近くに駅がある。この駅は住宅街の真ん中に位置しており、すぐ近くに鎌倉駅があるにも関わらず周辺は閑散としている。

2008年のオリジナル版において由比ヶ浜駅に対応する由比ヶ浜カイトはアルバムの最後の曲である鎌倉グッドバイへバトンを渡す楽曲だったため、荒々しさの中に静寂の余韻が残る音像だったが、2023年版では次に和田塚ワンダーズという楽曲が挟まるため、単体の曲としてソリッドにまとまっている印象がある。

和田塚駅

和田塚駅は由比ヶ浜駅の目と鼻の先にある。地図上で確認したところ200メートルくらいしか離れていなかった。 該当曲である和田塚ワンダーは荒々しく尖っていた時代のアジカンにはない円熟したイントロから始まる。アルバムの楽曲群の中でもとりわけボーカルよりもギターがフューチャーされていて、聞き応えのある一曲となっている。

駅名は鎌倉時代初期の有力御家人であった和田一族の墓に由来する。

鎌倉駅

ゴールである鎌倉駅へ着いた頃には弱い雨がぱらついていた。筆者は遠出をすると大体雨に降られる人生なので、鞄の中に仕舞っていた折り畳み傘を取り出し、自転車を返却する。三連休の中日だったので、駅前は賑わっていた。

ほとんど寺院を回らず線路沿いを進み、海の前でびっくりするくらい長い時間ぼんやりとしていた。何を考えていたのかこの記事を書いている今となってはほとんど覚えていないが、筆者にとっての四国八十八か所霊場めぐりやサンティアゴデコンポステーラ巡礼のような会得の体験がここにあるような気がする。

通り過ぎてきたほとんどの風景は鎌倉の近くで暮らしていた頃の追認であり、あの頃よりも少しだけ歳を取った自分と過去の自分が抱いていた感情の対話が行われる。自転車のスピードで江ノ電をなぞることで、鎌倉、ASIAN KUNG-FU GENERATION、サーフ ブンガク カマクラと、道の中に配置されていた自分の存在に強く関わる概念をゆっくり進みながら解き解くことが出来た。電車や自動車では見過ごしてしまう風景との出会いもあった。

鎌倉駅の前でアルバムの最後の曲である鎌倉グッドバイを聴いた。

アジカンの後藤正文はデビューして間もない頃からインターネットで自身の日記を公開しており、バンドのWebページや個人サイトと変遷を経て最近の出来事はnoteで読むことが出来る。サーフ ブンガク カマクラをリリースした日の日記で、「仲間と作品作れて最高の瞬間」と後藤は言っていた。15年が経ち周囲の環境や音楽性が変わる中で、凄まじい努力によって絶望を乗り越え、今もなお音楽によって希望を鳴らし続けるその姿がとてつもなくカッコよく見える。

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