紙芝居自転車実践記 IAMAS OPEN HOUSE編

紙芝居自転車の存在を知ったのは、移動史を調べている最中のことだった。

昭和20年代から30年代、即ち戦後の復興時期からテレビ普及の僅かな間に紙芝居を載せた自転車が方々駆け巡り、街角に子供達が集まることが日常だった時代があったようだ。調べたところによると、職業としての紙芝居屋は鑑賞料として子供達に飴を売り、その引き換えとして娯楽を提供することで生計を立てていたらしい。

映画「ミツバチのささやき」の冒頭に、映画のフィルムを街に運んできたトラックの周りに子供たちが集まり「映画が街にやってきた!」と騒ぐシーンがあった。念仏を唱えて方々を旅した空也上人、ちんどん屋、フーテンの寅さん。移動をしながら言祝ぐものたちが皆そうであるように、紙芝居自転車によって生まれた輪は喜びに満ち溢れていたことが推測出来る。ニュースメディアの文章やメール等のメッセージ、あるいはSNSに溢れるテキストを常備携帯して移動をしている現代よりも、言葉にアウラが宿っていた時代だったのかもしれない。

街角で大勢へ向けて言葉を発する行為が政治的行為と結ばれて映ることが多い2023年に紙芝居自転車をやってみたらどうなるのだろうか。そんな好奇心に突き動かされて紙芝居制作と筆者の夏が始まった。

紙芝居自転車の制作

ちょうど所属しているIAMAS(岐阜県大垣市にある情報科学芸術大学院大学)の外部公開日であるOPEN HOUSEが控えていたこともあり、当日非公式に実演することに決めた。紙芝居自転車が定期公演・定期周回のスタイルで実施されていたか否か今回リサーチした限りでは分からなかったが、ある日ストリートでゲリラ的に始まってからじわじわブームが巻き起こったものと推測して、それに倣った。

紙芝居の制作に際して必要なものはビジュアルと物語の二つになる。それぞれAIの力を借りて出力し、編集とデジタルデータをアナログへ置き換える作業を人間である筆者が担当をする。ビジュアルはMidjourney、物語はもも太郎のあらすじをベースにChatGPTで出力をした。

浮世絵と漫画の画風をMidjourneyに指定したもも太郎の登場シーン。週刊少年ジャンプの主人公顔負けのカッコよさである。

題材として採用したもも太郎のチャプターを手動で分割し、各章の続きをChatGPTに書いてもらった。興味深い文章が出力されるまで何度もトライして前後の脈絡や展開に応じて言葉を微調整した。筆者は編集者として物語に関わった。

Midjourneyで出力した画像をA3サイズで印刷して画用紙へ貼り付ける。筆者が不器用なだけかもしれないが、アナログの作業に画像出力と文章出力を合計した時間の倍を要したことに生成AIによる制作プロセスのパラダイムシフトを感じざるを得ない。

完成した紙芝居の記念写真。タイトルは「もも太郎と不老不死の石」である。自転車に乗せて夏空の下へ向かう。

実際にやってみた

決行は7月23日(日)15:00だった。自転車に乗ってソフトピアジャパン前へ向かい、紙芝居「もも太郎と不老不死の石」を読んだ。YouTubeのLive配信付きである。

施設を巡回している警備員さんからの注意や通りすがりの人たちから白い目で見られることを予想していたが、体温よりも高い炎天下の中で筆者が声を張り上げても、上演場所が往来の中心であるにも関わらずほとんど人がやって来なかった。

物憂いほどの日差しと闘いながら配信をしているiPadのカメラに向かって約十分くらい紙芝居を読み続けた。次回は新宿駅南口でのリベンジを心に誓う。

紙芝居を読んだ後に思ったこと

日々、街から広場が消えていく現実に寂しさや虚しさを抱いている。広場というのは自由に往来があり、好きな地点で立ち止まることができ、そこには楽器を弾く人や歌を歌う人がいたり、酒場のように闊達にお喋りすることができる空間だ。その場自体が賑わっているだけでなく他の場所と場所を繋いで街を騒がすハブのような役割を持つ。

十分に発達した都市の移動は他者の脳内のシュミレートだと感じることがある。どこかの誰かが設計した道幅や信号の配置や道路標識に我々の移動は縛られている。自転車に乗って夏風を切っていると、どうしてだろう。人の頭の中を這う芋虫のような気持ちになる。

過度な開発によって街の外観は均一化し、都市における広場的空間は皮肉にもイオンモールの駐車場やパチンコ屋の休憩所くらいになってしまった。紙芝居自転車の存在を知った時、僕は街に広場的空間を再構築出来る可能性を感じた。それは移動の力でもあり、物語の本質でもあると思う。

参考文献

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