ジブリ作品に見る「象徴」としての自転車

自転車は通常、物理的な距離を移動するための手段、すなわちモビリティとして使用される。しかし、物理的な距離の制約が存在しないアニメーションの世界において、自転車は単なる移動手段ではなく、象徴としての役割を果たす。象徴表現を巧みに用いたアニメーションを制作するスタジオジブリ。スタジオジブリの作品には自転車が登場するものがいくつかある。本稿では、スタジオジブリのアニメーション作品において、象徴としての自転車がどのように機能しているかを、スタジオジブリが提供している作品静止画を用いて考察する。

『となりのトトロ』

「となりのトトロ」の舞台は昭和30年代の日本であり、その時代、日本はまだ高度経済成長の直前で、田舎では自動車がまだ一般的ではなかった。その代わり、自転車は人々の日常生活において重要な役割を果たしていた。劇中の自転車シーンでは、フレームにクッション素材を巻きつけ、3人乗り可能な形状になっており、現代のファミリーカーのように使用している様子が見て取れる。(昭和30年代当時も3人乗りは道路交通法違反だが、おそらく劇中は私たちの生きる世界ではない。)

上記画像は「塚森へ出発!」という父親のセリフと共に、3人がトトロの森へ挨拶に行くために自転車に乗るシーンが描かれている。移動を表現する視覚的な情景の変化だけではなく、自転車に乗るという行為を通じて物語の新たな展開が始まることが強調されている。さらに、楽しげに親子3人が自転車に乗る様子や、舗装されていない田舎の道を父親が全力で漕ぐ姿と声援を送る娘たちの姿からは親子の深い絆が伝わってくる。自転車が家族のコミュニケーションツールになっていると言えるのではないか。このようなシーンから自転車は単なる移動手段ではなく、物語の幕開けや家族の絆を象徴するためのツールとして機能している。

『耳をすませば』

「耳をすませば」に登場する明け方の急坂を駆け上がる自転車のシーンは、ジブリ作品の中で最も印象的な自転車の描写かもしれない。上記画像のシーンは物語のクライマックスを織り成し、キャラクターの決意、関係性、そして成長を自転車というツールを通じて緻密に描いている。

以下:劇中のセリフ抜粋

雫「降りようか?」

聖司「大丈夫だ。お前を乗せて坂道のぼるって、決めたんだ。」

雫「そんなのズルイ! お荷物だけなんてヤダ!」

雫「私だって役に立ちたいんだから!」

このシーンでは、聖司が激坂を雫を後ろに乗せてゆっくりと着実に登る過程で自身の強い意志と決意、そして雫への深い感情を表現し、彼がバイオリン職人という険しい道のりを進むことを決めたこと、そしてその道のりに雫を連れて行くことを象徴している。一方で、雫は「私だって役に立ちたいんだから!」というセリフと共に自転車から降りて後ろから押す描写は彼女の自立心を表現し、聖司との関係で受け身の存在ではなく、平等な立場を求めることを象徴している。

また、自転車の二人乗り(トトロでは三人)の描写はジブリ作品ではお約束だが、「耳をすませば」のこのシーンでは、二人乗りに加え、無灯火での逆走という非常に危険な行為が描かれている。(ぜひ映画を見て確認してほしい)「耳をすませば」は、ファンタジー要素はなく、日常の中に潜む素晴らしさを描き出すことに力点を置いた作品である。この危険の描写は恐怖知らずの中学生男子の自転車走行のリアルを表現するためには必要だったのではないかと考える。

この見事な描写の背景には、作画監督を務めた高坂希太郎監督の存在がある。高坂監督は「茄子 アンダルシアの夏」などで自転車ロードレースの世界を描いており、熱心な自転車愛好家でもある。その深い自転車への理解と描写力によって、自転車を巧みに用いた、キャラクターの心情変化の象徴表現がされているのだ。

過去にスタジオジブリ主催でツールド信州という大会が開催されていた。高坂監督はツールド信州のチャンピオンである。そもそもジブリは自転車好きのアニメーターが多く、あの宮崎駿もツールドフランスのテレビ観戦に熱中していた時期があるらしい。

ツールド信州-映画「もののけ姫」制作日誌

『魔女の宅急便』

「魔女の宅急便」は、前述の「耳をすませば」と同様に、キキとトンボ男女2人で協力して自転車を操作することで関係を深めるシーンがある。しかし、ファンタジー映画である「魔女の宅急便」では、主に自転車が幻想的な世界観を体現するツールとして機能し、ファンタジーの世界を象徴している。

上記画像の大きなプロペラがついた自転車は、プロペラの回転が生み出す推進力で進み、物理法則を無視して空中を浮遊する。監督の宮崎駿氏は航空機製作所の役員の息子として育ち、生粋の飛行機オタクのため、現実ではあり得ないことを彼自身が最も良く理解しているはずだ。この自転車が空中浮遊する描写はこの映画の世界はファンタジーの世界だと強調するためだと解釈できる。さらに、この自転車はハンドルが切れず、体重移動でしか曲がれない。それどころかブレーキもついていない。このモンスター自転車で下り坂を高速移動が可能なのも自転車で下り坂を高速移動が可能なのもファンタジー映画ならではの描写と言える。前述の「耳をすませば」では自転車を使ってリアルを表現していたが、対照的に「魔女の宅急便」では現実を超越したありえない自転車を用いることで「魔女の宅急便」のファンタジーの世界観を象徴しているのだ。

本稿の考察からスタジオジブリのアニメーションに登場する自転車は、単なる移動手段ではなく、物語の進行やキャラクターの感情、作品テーマの視覚化等、物語の真相を伝える為の象徴として強力に機能していることが分かった。アニメーションの世界で自転車の機能は一段と拡大し、多角化したとも考えられる。アニメーションの世界等の現実ではない世界に存在する自転車の役割を理解することは、現実世界の自転車を可能性を再考することに繋がるかもしれない。

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