アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)はドイツの政治家であり、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)を率いて第二次世界大戦を引き起こし、ユダヤ人虐殺などの戦争犯罪の張本人として悪名高い。その彼は第一次世界大戦が勃発した1914年、25歳で軍隊に入り、自転車伝令兵(Kradfahrer)として軍役に就いている。つまり、戦場を自転車で駆け抜けるバイク・メッセンジャーだ。
伝令として書簡を懐に道なき原野を自転車で走破するのだから、これはもうシクロクロスやグラベルだ。随分と活躍したようで、その功績を讃えて勲章を6回も授けられている。ただし、階級としては上等兵(Gefreiter)止まりであり、下っ端に過ぎない。成果を上げながらも昇進できなかったとすれば、やりきれぬ思いが鬱積していたのかもしれない。最初の軍役だけに思いも強いだろう。
その後、戦場で負傷したこともあって、第一次世界大戦後にヒトラーは政治家に転身。紆余曲折を経てナチスは独裁政権としてドイツを支配、周辺諸国に侵攻してヨーロッパ中に戦火を広げた。この第二次世界大戦では伝令ではなく無線通信が情報伝達を担った。戦闘には自動車や戦車が活躍し、自転車が出る幕はない。しかし、それでもヒトラーは自転車を重要視、または危険視している。
ヒトラーは自転車禁止令を出し、イタリア、オランダ、デンマークでは自転車を没収する。道路は国民の車(フォルクスワーゲン)のものであり、自転車は忌み嫌われた。当時の燃料不足をものともせず、一般市民が長距離を移動し物品を運ぶのは、戦時下における大きな脅威であったからだ。後の自転車大国オランダでもアンネ・フランク一家は自転車を隠し持たざるを得なかった。
自転車伝令兵として活躍し、自転車部隊を組織しながら、自転車を禁止する。これは、古典趣味の冴えない画家志望であったヒトラーが、権力を握ってからは近代的な芸術を退廃芸術として弾圧したことを思い起こさせる。矛盾する複雑な感情が疼いていたのだろう。ヒトラーは自転車好きであり、その潜在的能力を見抜いていた。彼が自転車に乗り続けていれば、世界は大きく違っていたはずだ。
【参考】Bikes at War Part Two: The Great War
Hitler was a bicycle messenger
How Hitler decided to launch the largest bike theft in Denmark’s history