「自転車のある情景展」が、徳島県立近代美術館、八王子市夢美術館で開催されている。ミショー型自転車に始まる、量産型自転車や競技用モデル、宣伝ポスターの展示もさることながら、本展の魅力は、美術作品の中で自転車がどのように捉えられ、描かれてきたかにあるだろう。作品にとどめられた自転車の表象は、作家個人の関心だけでなく、地域や時代の変化を先取りしている。まるでタイムカプセルを開けるかのような感覚で、絵画を紐解くおもしろさがある。
その中でも印象深いのが、山下菊二の《高松所見》(1936)である。自転車を中心に描かれた9人の人物のうち8人は女性で、しかも、いわゆる職業婦人や最新のファッションに身を包んだモダンガールとして描かれている。1920年代、大正デモクラシーがもたらした自由主義、女性解放の風潮を反映し、教員や医師などの専門職に限られていた女性の職業が、カフェの店員や事務職などのサービス業に広がったと言われるが、その余波が高松にも見られたということだろうか。都市生活の象徴として自転車が描かれ、当時国際的な広がりを見せていたシュルレアリスムのコラージュを意識した作品と言えるだろう。後に、シュルレアリスムに日本の土俗的なイメージを重ねた作風を展開していく山下を彷彿とさせる初期作品だ。この作品は、現存する山下の油彩画の中で最も古く、香川県立工芸学校の在学中に制作されたという。若き山下の進取の気性を感じさせる清々しい作品である。
山下とは対照的に思えるのが、萬鐵五郎の《自転車走行》(1919-27)だ。萬といえば、言わずと知れた大正洋画壇の旗手であり、フォーヴィスム、キュビスムに共鳴した鮮やかな色彩、画面構成が特徴的である。だが、一転して南画風の水墨で描かれたこの作品は、茅ヶ崎での転地療養中に描かれ、晩年の頃の作と思われる。気負いのない筆と自転車をこぐ少年から連想される軽やかな動きからは、心地よささえ感じられる。萬は岩手の裕福な商家で生まれ、一家は自転車を所有していたというが、少年時代の追憶とともに描かれたという見立ても頷ける。
自転車は、動きや機械美への憧憬、都市生活の象徴、日常の一コマを演出する小道具としての役割など、様々な意味をこめたモチーフとして捉えられてきた。ここで紹介したのはその一端にすぎないが、自転車を通して、前衛美術家とみなされる作家たちの表舞台の傍らに、個々の生い立ちや感性の発露が読み取れるのが興味深い。自転車ならではの微妙なバランス感覚が、ここでも発揮されているように思えるのだ。
- 図版は「自転車のある情景」展カタログより転載。