先月の信州の旅(前回はその装備について書いた)は、普段から乗っているLe Mans Sportifの汎用性の高さを再確認させてくれるものだった。古くて重いのに登坂が楽しい自転車で、グラベルやトレイルもそこそこいける。一方で限界もかなりよく分かってきて、弱点を克服した「次の一台」の妄想が頭の中で始まっている。ここではその妄想の一部、車体前部のジオメトリーに関する考察をメモしておく。「下駄自転車」の記事の特定箇所を掘り下げたものとみてもらってもいい。
前荷ismとLow Trail
積載については前三角をまず最大活用するのが自分のセオリーで、そこに収まらないものはどちらかというと車体の前に偏らせる形が好きだ。サドルの後ろ側が重くなった時の振られる感じがないし、荷物が目の前にあればアクセスし易く、知らぬ間に脱落し紛失、みたいな恐れも少ない。
前に積む「前荷ism(マエニズム)」に適していると考えられる自転車は、low trail bikeと呼ばれる部類のものになる。trail(トレイル)とは〈ステアリング軸の延長上と地面の交点〉と〈前輪の接地点〉の距離のことだ。地面との摩擦がある状態なら、テコとして働くトレイルが長いほどステアリングの挙動はダイレクトでなくなる(穏やかになる)。
トレイル値はヘッド角 and/or フォークのオフセット量を変えることで増減するが、low trail bikeと呼ばれるものは大体、73°付近のヘッド角(ロードバイクの標準値もこの辺)と多めのオフセットを有している。自分の理解では、前荷ismとの相性はヘッド角で決まる。寝たヘッドに対してオフセットを極端に大きくとって結果的にlow trailになっても、狙っている積載スタイルには恐らく合わない(詳しくは後述)。自分の Le Mans Sportifのヘッド角は手元のメモだと72°だがもっと立っているような気がする。
いわゆるLow Trail Bikesをいくつか較べてみる
ブランド | モデル | 標準タイヤ | ヘッド角 | オフセット | BB下がり |
---|---|---|---|---|---|
Surly | Pack Rat (52サイズ以上) | 650B 42mm | 74° | 44mm | 55mm |
Masi | Speciale Randonneur (53サイズ以上) | 650B 47mm | 73° | 65mm | 70mm |
Velo Orange | Polyvalent (全サイズ) | 650B 47mm | 73° | 60mm | 67mm |
Norther | Lyon (54サイズ以上) | 650B 42mm | 72°/73°/73.5° | 68mm | 71mm |
この表は、The Path Less PedaledのRuss RocaさんがYouTubeでレビューしているいわゆるlow trail自転車のうち4台のジオメトリーを部分的に抜き出したものだ(BB下がりも自分の乗り方では関連があるので合わせて載せてある)。いずれもヘッドが割と立っているのが分かるだろう。参照した動画と「操舵感の要約」を次に示す(ただしRussさんが乗ったのが表に含まれるサイズ・仕様の車体でない可能性もある)。
表の数値が割と近いSpeciale RandonneurとPolyvalentについては、Russさんの感想も同じような内容になっている。Pack Rat(ヘッド角が74°と際立っている一方、オフセットは控えめ)とLyon(オフセットがとりわけ大きい)も操舵感の評価は似通っているものの、フロントラックに重い荷物をドカッと積まれているPack Ratの方がより前荷ismに特化しているように見受けられる。しかしそこまで振り切ったものを自分は求めているだろうか。Speciale Randonneurくらいのジオメトリーが無難かもしれない。
ホイールフロップの正体を誰も知らない
前荷ismのメイン課題である低速時の前輪の切れ込みはwheel flop(ホイールフロップ)と呼ばれ、自分のこれまでの見聞と経験によると、主にヘッド角を立てることで抑えられる。ここからしばらくは、Kuromoriというサイトの記事“What is “Wheel Flop?”を参考にその理屈を探る。この記事は、巷に出回っているホイールフロップ現象の説明がいかにでたらめかを指摘したものだ。
= “wheel flop factor,” the distance that the center of the front wheel axle is lowered when the handlebars are rotated from the straight ahead position to a position 90 degrees away from straight ahead
Bicycle and motorcycle geometry: Wikipedia
これは 〈ハンドルバーを正面から90°切った際に前輪の車軸がどれだけ下がるか〉が「ホイールフロップ(因子) ƒ 」である、というWikipediaの記述だが、そこに併記されている計算式 ƒ = b sin θ cos θ で導き出されるのは全く別のもの、〈ステアリング軸の延長からタイヤの接地点へ直角に線が引ける点の地面からの高さ〉である。
Kuromoriはこれに代わるものとして、〈車体前部(※車軸ではない)の沈み〉に注目した数段マトモなモデルを提示する。標準的なロードバイクのジオメトリーを想定した場合、Kuromoriのモデルでは〈車軸の沈み〉は約14.6mm、〈車体前部の沈み〉は約1.5mmとなる(ƒ = b sin θ cos θ で算出される値はどちらとも一致しない)。
〈車軸の沈み〉が操舵角90°にかけて大きくなっていくのに対し、〈車体前部の沈み〉が最大になる角度はジオメトリーによって異なる。ヘッド角を固定した場合、オフセットが大きいと〈車体前部の沈み〉が少なく、最大になる舵角も浅くなる=早く底を打つ。Kuromoriはそのようには記述していないが、Bicycle Quarterly誌のJan Heine氏がイメージするホイールフロップはこれかもしれない(「ハンドルバーが切れた際の車体前部の下降量」と定義しつつ舵角に言及しておらず、また前掲の式 ƒ = b sin θ cos θ を用いており何をどう算定しているか不明)。
ヘッド角 | オフセット | トレイル | 車体前部の沈みの最大値 |
---|---|---|---|
73° | 69.55mm | 30mm | 1.306mm |
73° | 44.68mm | 56mm | 4.472mm |
73° | 31.30mm | 70mm | 6.928mm |
〈沈み〉と荷物の関係はどうだろうか。〈車体前部の沈み〉は主に前三角やサドル後ろの荷物、〈車軸の沈み〉は主にパニア類に影響を与えると考えられる。Kuromoriによれば〈車軸の沈み〉量は大体ヘッド角と車輪径で決まり、オフセットやトレイルの値はあまり関係ない。パニア類は前輪の車軸付近に重心があると沈みの影響を大きく受け、ステアリング軸(の延長上)に重心を後退させると影響が減るだろう、とも書かれている。車軸に比べてステアリング軸上にある車体前部の沈みはざっと一ケタ小さいので、この推論には説得力があるように思える。フォークのオフセットが増えればパニア類(の重心)を後退させるべき距離も増すわけだ。
ヘッド角 | オフセット | 車体 (最大) | 車体 (舵角10°) | 車体 (舵角20°) | 車体 (舵角90°) | 車軸 |
---|---|---|---|---|---|---|
70° | 86.73mm | 1.300mm | 0.1423mm | 0.5187mm | -9.400mm | 20.26mm |
73° | 69.55mm | 1.306mm | 0.1243mm | 0.4585mm | -3.524mm | 14.68mm |
76° | 52.18mm | 1.313mm | 0.1047mm | 0.3915mm | -2.643mm | 9.981mm |
同じ車体前方の荷物でも、ハンドルバーバッグ(フロントバッグ)の類はパニアとは事情が違ってくる。Kuromoriはハンドルバーバッグ(ステアリング軸から150mmの位置に重心がくると仮定)の沈み込みを含む表を示し、これが一般にホイールフロップと呼ばれている現象なのではないか、と問いかけている(※)。
ヘッド角/トレイル値 | バッグ(10°) | 車軸(10°) | 車体(10°) | バッグ(5°) | 車軸(5°) | 車体(5°) |
---|---|---|---|---|---|---|
73°/30mm | 0.760mm | 0.407mm | 0.078mm | 0.191mm | 0.103mm | 0.020mm |
73°/35mm | 0.780mm | 0.407mm | 0.096mm | 0.196mm | 0.103mm | 0.024mm |
73°/40mm | 0.801mm | 0.407mm | 0.113mm | 0.201mm | 0.103mm | 0.029mm |
73°/56mm | 0.870mm | 0.407mm | 0.171mm | 0.219mm | 0.103mm | 0.043mm |
73°/70mm | 0.931mm | 0.407mm | 0.223mm | 0.234mm | 0.103mm | 0.056mm |
72°/30mm | 0.799mm | 0.455mm | 0.079mm | 0.201mm | 0.115mm | 0.020mm |
72°/35mm | 0.821mm | 0.455mm | 0.097mm | 0.206mm | 0.115mm | 0.025mm |
72°/40mm | 0.842mm | 0.455mm | 0.115mm | 0.212mm | 0.115mm | 0.029mm |
71°/30mm | 0.838mm | 0.505mm | 0.080mm | 0.211mm | 0.127mm | 0.021mm |
71°/35mm | 0.860mm | 0.505mm | 0.099mm | 0.216mm | 0.127mm | 0.025mm |
71°/40mm | 0.883mm | 0.505mm | 0.117mm | 0.222mm | 0.127mm | 0.030mm |
71°/56mm | 0.956mm | 0.505mm | 0.179mm | 0.240mm | 0.127mm | 0.045mm |
71°/70mm | 1.022mm | 0.505mm | 0.235mm | 0.257mm | 0.127mm | 0.059mm |
表の範囲内でいえば、ヘッド角が1°寝た場合、バッグ沈みへの影響を相殺するにはトレイルを約10mm減らさなければならない。ヘッド角を立てずに低速でのバッグ沈みを抑えようとすると極端にlow trailにせねばならず、そうすると速度が上がってからのステアリングの(よい意味での)抵抗が損なわれ、過敏な自転車になってしまう。Kuromoriが特に重要とみなしているのはやはりヘッド角、それから荷物(の重心)のステアリング軸からの距離である。
Kuromoriはまた簡易的な実験を行い、微かにステアリングを切った自転車のトップチューブを上から圧迫した際の〈車体の沈み〉とハンドルバーバッグに重りを追加していった際の〈バッグの沈み〉を観測している。バッグの荷重は簡単に前タイヤと地面の摩擦を上回ったが、トップチューブへの荷重は摩擦の増加に貢献してステアリングの切れ込みは起こらなかったという。逆に前輪の荷重を抜くと切れ込みが発生。
※Jan Heine氏は2020年の著書The All Road Revolutionでホイールフロップは荷物による切れ込みはとは別のものだと書いているものの(80-81ページ、85-86ページ)、前述の通りその定義は厳密さを欠いている。
改めて実践を考えてみる
Kuromoriの記事を踏まえ、前荷ismの勘所を改めて考えてみる。
- ヘッドが立った自転車の方が基本的に相性がよい。
- 車体側の荷重はステアリングに影響しにくいので、前三角(とダウンチューブ下)はしっかり活用。その上での前荷ism。
- パニアを含むフォーク横の積載は、車軸よりステアリング軸(の延長上)に重心を寄せる。フォーク真横のダボを使って荷物をくくりつける場合、オフセット値が同じでも直線的なフォークよりベントフォークの方がステアリング軸に沿った部分が多いのでちょっとだけ有利かもしれない。
- ハンドルバーバッグの類もなるべくステアリング軸に重心を寄せる。これはブレーキの種類によって有利不利が生じるところだ。ステム脇の小さいバッグ類も重心バランスの向上には有用(脚に当たってしまうなどの問題がなければ)。
- 荷重は荷物だけの問題ではないので、自転車の構成パーツや乗り手のポジションも合わせて検討する。
今回はこんなところで結びにしよう。ステアリングの勝手な切れ込みは低速域だけの問題、とはいえ、キャンプ装備を積んでの長いヒルクライムなどはざらにある状況だ。またグラベルのような路面の摩擦係数の低い環境では、切れ込みの発生はより顕著になる(2020年のきゃんつー集いのセットアップではグラベルの登りでヒョコヒョコしてしまい難儀した)。前荷ismとそれに適した自転車の探求は続く。
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