湊ナオの「イノセント・ツーリング」は、自転車で紀伊半島南部を巡るツーリング小説。この手の自転車作品の中で本作を特異にしているのは、出版日が2021年2月であること。そう、新型コロナウイルスのパンデミックが収束しないまま1年が経過した頃。何をどのように描くにしても、全世界が一変した状況を無視できないからだ。まったく新しい小説が生まれる可能性すらある。
さて、物語は2020年の8月に始まり、早々にコロナ禍で憔悴した心内が語られる。「すべての日常が止まってしまった」「すべての頑張りが無効になったみたいな感じがする」「今を越えれば、絶対また違う景色が見えるから」「人類の底力舐めんなよ」などなど。消毒や清掃、オンラインの授業や会議などコロナ禍ゆえの状況描写もある。しかし、なぜかマスクや手洗い、あるいは3密回避などは登場しない。
うがった味方をすれば、パンデミックより前にプロットが完成していたのかもしれない。だから、新型コロナウイルス関連の記述は分量的には僅かであり、冒頭に限られる。焦燥感を演出しているものの、ストーリーに大きな影響を与えることはない。だから、ウイルス・パニック時代、あるいはニュー・ノーマル時代の物語を期待すると肩透かしをくらうことになる。
もっともツーリング小説としては読み応えたっぷりで、軽妙な会話とともにテンポよく物語が進展する。最終盤まで明らかにならない謎を抱えながら、不思議な関係の3人組が、薄れかけた記憶の目的地へと向かう。嫌味にならない程度にツーリングや自転車の知識も散りばめられている。古いランドナーをレストアして乗っているが、最後に少しだけe-Bikeの話が出るのも微笑ましい。
個人的には、北海道や南紀、それに徳山など訪れたことがある場所が登場するのが単純に嬉しかった。ただ、和歌山となるとトンネル事故を思い出してしまう。物語が進み、事故地点が近づくにつれて胸が苦しくなる。そして状況や程度は違うものの、しっかりトンネルでの事故が発生する。風光明媚なサイクリング王国は、実は道路状況が良くない。このトラウマを乗り越えて再び彼の地を走れるだろうか。
さて、最初の興味に戻って、現代の自転車小説は如何にあるべきか。小道具はたくさんある。マスクで呼吸困難、併走は禁止、灯火管制の暗闇、飲食店は休業、宿も休業、キャンプ地は閉鎖、県境も封鎖、越境者に投石、医療崩壊で治療拒否、給付金でギア新調、GO TOで豪遊、自転車売り切れ、修理部品も枯渇、移動テレワーク、新型グループ・ライド大流行、などなど。作家諸氏に期待したい。