夏の終わり、数十キロの崖線をポケットにしまう

9月の初めの土曜日、友達と崖線サイクリングに出かけた。近場の多摩川河川敷から「立川崖線」を辿り、扇状地の頂点へ。子供の探検のような、場所から離れるのではなく場所に近づくための移動を繋ぐライドは、市街・郊外・山間部を縫い合わせてこれらの境界をぼかし、距離の感覚を更新させてくれた。

立川崖線をなぞるルート(の一つ)を引いた、土地の起伏が分かる地理院地図
立川崖線をなぞるルート(の一つ)

立川崖線は多摩川が過去に形成した河岸段丘の連なりの一つで(他に国分寺崖線などがある)、東京都狛江市で今の多摩川にぶつかっている。自分たちはここをスタート地点とし、「ハケ」(武蔵野台地周辺ではしばしば段丘崖のことをこう呼ぶ)に沿って西に進んだ。

草木が生い茂った低い崖の写真
狛江市内のハケ

ハケは湧水と深い関係にあり、ハケ下には今でも農地が点在している。農地があったならそこにはたいてい、用水路とそれに並行した道、ないしはこれらの名残がある。こんなわけで、ハケのへりを辿る際は上よりも下を選んだ方が上手くいく可能性が高い。今回も基本的にこのセオリーに従って走ったが、ハケのすぐ上に道がある場合は積極的にそこを通るようにした。見晴らしのよい道はやはり楽しい(楽しんでいて写真をあまり撮っていない)。

府中競馬場駅前の写真(「駅構内での競馬予想行為を禁ず」との掲示がある)
府中競馬場駅前(競馬場はハケ下、駅はハケ上にある)
大国魂神社の門前の写真
武蔵の国の総社たる大国魂神社はハケの上

昼が近づくにつれ気温もじわじわと上がる。暑い。とはいえ35度を超える猛暑の時期はもう過ぎた。自分たちが子供の頃の夏ってこんなもんだったよね、などと話しつつ、なるべくハケに近いところを進む。誰かの「いつもの坂」を登り、また違う誰かの日常の坂を下る。宅地化が難しい段丘の斜面には雑木林が多い。木蔭は少し涼しく、たまに飲み物の空き容器が捨ててあったりする。

青空を背景にしたループ歩道橋の写真
ハケ下の道からバイパスの歩道へ上がるループ歩道橋
草に覆われた、だが手の行き届いた水路と小路の写真
ハケ下の流れに沿った小路

ハケ下の公園で流れに足を浸して涼んでいる人たちがいる。湧水が生きているハケはよいものだ。単なる土地の高低差であれば、多くの人はそれ自体を見るのではなく、登坂の骨折りや上に立った際の眺望を想うだろう。断面そのものが元気なハケは、上の世界と下の世界の質的な違いを思い出させてくれる。

せせらぎに足を浸している様子の写真
火照った足をせせらぎで冷やす

崖線をずっと追いかけていると、擁壁や建築物で覆われたハケであっても、そのかつての(むき出しの、あるいは草木だけを纏った)姿が見えるような気がしてくる(視覚機能が弱まる夜はこの「幻視」がさらに容易になる)。場所と場所は互いに韻を踏み、市街地・郊外・山間部といった線引きはぼやけていく。

公園内の土の坂道を自転車で登る人の写真
ガレの少ない未舗装路の探索にはロードバイクも軽快でよい

こうして小学生の行動範囲内でなされるようなマイクロアドベンチャーを連鎖させていった結果、感覚的には一つのテリトリーから出ていないのに、自分たちはやがて友達の生家がある福生市に入り、日暮れには青梅市内、多摩川の扇の付け根に至った。

公園内の土と砂の道を自転車で走る人の写真
友達の子供時代のテリトリーを走る
見晴らしのよい丘の中腹の未舗装路で自転車に跨りポーズをとっている人の写真
青梅市内の素晴らしい道

これがどういうことなのか、今もまだよくわかっていない。鉄道であれ自転車であれ、「進むため」のルートを選んでいたらこうはならなかっただろう。数十キロの崖線が一つのものとして体験され、自分はそれを大きな「近所の高台」として丸ごと精神のポケットに収めてしまったのかもしれない。

暗い緑道の奥に赤いテールライトの光が尾を引いている写真
羽村山口軽便鉄道跡(東京水道)

なりゆきもあり、思うところもあり、この日の帰巣は水の道を軸とした自走となった。自己と場所の関係を見つめるには、やはり輪行や車載を挟まない純粋な往還が要る。ポケットの中の全てを、暗く静かな道の上で反芻しながら、生活の拠点まで持ち帰るのだ(子供の頃から穴が空いたままのポケットだとしても)。その夜は稲光と雷鳴が空を駆け回っていた。

強い雨が夜の道路を叩いている様子
土砂降りに遭って雨宿り
雨上がりの夜の緑道を自転車で走っている様子
軽便鉄道跡の続き
白い破線のセンターラインが引かれた夜の緑道の写真
狭山・境緑道(水道道路)

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