1818年に描かれた水彩画がある。左側の太った紳士は歌曲王とも呼ばれた作曲家フランツ・シューベルト(Franz Schubert)、望遠鏡のような万華鏡を覗き込んで悦に入っている。そこへ青年が自転車の元祖であるドライジーネに乗って突っ込み、転倒しかかっている。彼は画家のレオポルト・クーペルヴィーザー(Leopold Kupelwieser)、この水彩画の作者でもある。
万華鏡もドライジーネも当時発明されたばかりで、当時最先端の娯楽装置。ただし、新しい技術には修練とマナーが必要。彼らは刺激と享楽を貪る余り、周囲への配慮を怠り、衝突してしまう。これはまるで今日のスマートフォンと電動キックスケーターではないか、と指摘したのがメディア考古学者のエルキ・フータモ(Erkki Huhtamo)だった。
小学校の音楽室に肖像画が掛かっている偉人が、万華鏡に熱中し、自転車と衝突するのは不思議な気がする。だが、これが当時の時代性なのだろう。19世紀初頭のヨーロッパは工業化と市民化が進み、音楽は古典派からロマン派へと変遷する。個人の自由な移動を可能にした自転車、動的に操作可能な映像である万華鏡、そして個々人の感性を追求する音楽、と見事に繋がっている。
ここで思い出しのは、クラフトワークの1977年のアルバム「ヨーロッパ特急(Trans-Europe Express)」に収められた小曲、その名も「フランツ・シューベルト(Franz Schubert)」だ。ディレイをかけた規則正しいシーケンス音に乗って、左右のストリングが暗い音色で中庸な旋律を奏でる。これは釈然としないが、シューベルト風なのだろか。
そもそも、ヨーロッパ横断鉄道網を主題とするアルバムに、短い生涯の多くをウィーンで過ごしたシューベルトが登場する理由が分からない。楽曲としては前後の繋がりが完璧なだけに、曲目だけが唐突に思える。パスカル・ビュッシー(Pascal Bussy)のクラフトワーク本でも、この曲をレコーディング中に同姓同名の人物がスタジオに来たというエピソードが紹介されているだけだ。
だが、シューベルトを自転車に乗った最初の音楽家と見なせば、テクノポップ界きっての自転車好きであるクラフトワークの面目躍如だ。シューベルトこそクラフトワークが目指す自転車音楽家のオリジネータだからだ。クラフトワークがロード・バイクに傾倒するのはもう少し後の時期かもしれないが、予兆のようにシューベルトが登場したのだとすれば、なんとも愉快に思える。
もっとも、シューベルトがドライジーネに乗った明確な記録は見つけられないでいる。ただ、彼らが参加していたナンセンス・ソサエティ(Unsinnsgesellschaft)なる20数名の秘密クラブは週刊新聞を発行しており、この水彩画を含めて何度かドライジーネが登場する。だからシューベルトもドライジーネにまたがる機会があったはずだ。上手く乗りこなせたか否かは、また別の話だけれども。
【参考文献】
Schubert and the Draisine: An Odd Couple in the Archiv des Menschlichen Unsinns (Tina Frühauf, 2005)
Analyzing Schubert (Suzannah Clerk, 2011)
Franz Schubert and His World (Edited by Christopher H. Gibbs and Morten Solvik, 2014)
Schubert: The Nonsense Society Revisited (Rita Steblin, 2014)
Kraftwerk: Man, Machine and Music (Pascal Bussy, 2001)
シューベルトとドライジーネ、大変興味深いです。
KraftwerkのTEEの歌詞にウィーンが出てくるのはなぜだろうと思っていましたが、こちらの記事を拝見して謎が少し解けたような気がしています。
シューベルトがウィーンに住んでいたことを今回初めて知り驚きました。
なぜならTEEのオリジナルPVにウィーンの大観覧車が登場しているからです。
(大観覧車の建設は1897年とのことなので、シューベルトとドライジーネの時代よりはだいぶ新しくはなりますが。)
シューベルト→ウィーン→大観覧車→車輪、そして自転車….
KraftwerkのFranz Schubert のメロディは廻り続けるホイールのように終わらない音楽に感じられます。
と、このような連想ゲームで彼らのアイディアの源泉に少しだけ近づけたような気がして、自分勝手ながら嬉しく思っております。
シューベルトとKraftwerkの楽曲の共通性については、90年代に海外のマニア達が作ったファンジンに考察記事があったように記憶しています。
うろ覚えですが、シューベルトの歌曲集「冬の旅」からの曲等が挙げられていたような….。
現在インターネット上にこの記事は見当たりませんが、近いうちに人づてに探してみようと思っております。
大変興味深い記事をありがとうございます。また何かわかりましたらお知らせいたします。
いろいろと貴重な情報をありがとうございます。書かれているように、自転車の車輪や観覧車の円運動は音楽と関係が深いですね。音響的にはシンセサイザーのオシレーター、楽典的には音律の円環表現とか。そしてミニマルなパターンの繰り返しも円運動ですね。冬の旅、聴き直してみます!