フランスのアニメーション映画「ベルヴィル・ランデブー」は2002年のシルヴァン・ショメ監督作品。自転車を巡る奇妙で奇怪な物語。自転車で疾走する爽快さやレースの駆け引きといった有りがちな要素は皆無。精緻な背景美術と極端にデフォルメされた形状や動作とともに、白昼夢のような物語が続く。セリフはほぼないので場面や展開は理解しやすいが、種や仕掛け、伏線はたっぷりと用意されている。
「ベルヴィル・ランデブー(Belleville Rendez-vous)」はイギリスでの公開時のタイトルで、日本でもそれに倣っている。本来の原題は「Les Triplettes de Belleville」(ベルヴィルの三つ子)。ベルヴィルはフランス語で美しい町の意味で、ここではニューヨークに模した大都会のこと。三つ子はボーカル三人組を指し、物語の後半で重要な役割を果たす。
この三つ子が冒頭で軽妙なスウィング・ジャズのテーマ曲を歌う。曲中のギターはジャンゴ・ラインハルト、腰バナナのダンスはジョセフィン・ベーカー、タップ・ダンスはフレッド・アステアと、レトロで粋なパロディが楽しい。ちなみに、その後にもグレン・グールドのピアノ演奏、ファウスト・コッピの自転車レース、ジャック・タチの自転車映画といったオマージュが織り込まれる。
さて、能天気なイントロが終わると一転して、物憂げで繊細なトーンになる。自閉症の子供が自転車に興味を示し、お婆ちゃんが与えた三輪車に夢中になる。やがて青年となり、自転車選手を目指してハードな特訓に明け暮れる。虚ろな表情で坂道を上る青年を、お婆ちゃんが三輪車で追いかける奇妙さ。そして、掃除機やハンドミキサーで筋肉マッサージをするあたりから、悪夢的な様相が現れてくる。
晴れやかなファンファーレが鳴ると、ツール・ド・フランス山岳ステージの開幕。沿道で応援する人々の賑やかなお祭り騒ぎ。対照的に息も絶え絶えに山道を登っていく選手たち。ところが、お婆ちゃんが乗るサポート・カーを出し抜いて、ギャングがリタイヤした選手をさらっていく。青年も拉致されたことに気づいたお婆ちゃんは、ギャングが乗り込んだ大型汽船を足漕ぎボードで追いかける。
船は摩天楼がそびえ立つベルヴィルに着き、選手たちは自転車ギャンブルの駒に仕立て上げられる。それも、Zwiftの如く疾走する風景映像に向かって、点滴で栄養補給しながらペダルを漕ぎ続ける。一方、お婆ちゃんはボーカル・グループであった老婆3人と出会い、彼女たちの協力を得て青年を救い出そうとする。危機一髪の波乱万丈のシーンが続く中、青年たちは一心不乱にペダルを漕ぎ続ける。
ペダルを漕ぐものたちは、目を見開いて息を喘ぎながらも、疲労を訴えることも苦痛に感情を爆発させることもない。せいぜいが体力の限界に達して痙攣して倒れ込むだけだ。彼らは人間らしい心を奪われ、ひたすらペダルを回し続ける。そのペダルは映写機のリールを回し、紡ぎ出される映像の刺激によってペダルを漕ぐ無限ループ。機械仕掛けの肉体に欲望の増幅回路が組み込まれる。
アルフレッド・ジャリの「超男性」がそうであるように、フランスには人と自転車が機械として同化する憧憬があるらしい。自転車レースはスポーツであろうが、長時間の肉体の酷使は精神の酩酊状態をもたらす。苦痛を感じる受容器を除去し、有限の時間を無限に引き伸ばす。最後の場面で老齢の元青年が、孤独な部屋で何事かつぶやく。フランス語は解さないが、何を言ったのか分かるような気がする。
【追記】最後のつぶやきと、その直前の語りをフランス語ネイティブの知人に聞き取ってもらった。これはネタバレというほどではないが、映画全体の印象に影響を与えるかもしれない。映画を観終えた後に、以下の内容を確認することをお勧めする。(2018.07.17)
(暗い夜道を映写機車が進む中、エコーがかかった声が聞こえてくる)
“Il est fini, le film? Tu veux pas dire à mémé? Il est fini, le film?”
「終わったの、映画?お婆ちゃんに教えてくれない?終わったの、映画?」
(薄暗い部屋で老齢になった元青年がつぶやく)
“C’est fini, mémé.”
「終わったよ、お婆ちゃん」