アイドルと自転車試論〜AKB坂道編

Wikipediaは、日本の芸能界におけるアイドルを「成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物を指す」としている。この定義に加えて、近年の集団女性アイドルの記号的制服ファッションを考えれば、これは端的に中学生や高校生だ。そして、彼女たちは容易に自転車のイメージに結びつく。運転免許を取得できないので、自由な移動手段は徒歩か自転車しかないからだ。

一世を風靡した女性アイドル・グループAKB48のメジャー・デビュー曲「会いたかった」(2006)は、まさに自転車が重要なモチーフになっている。MVでは「君に借りたCD、今日、返しに行くね」と語り、絶対的エース前田敦子が自転車に乗る。立ち漕ぎのおかげか無事に会い、はにかみながらCDを手渡す。一方、駆け足で走る二人組は駅に辿り着くものの、街を去る先輩の電車に間に合わない。

自転車全力でペダル
漕ぎながら坂を登る
風に膨らんでいるシャツも
今はもどかしい

やっと気づいた本当の気持ち
正直にゆくんだ
たったひとつこの道を
走れ!

AKB48「会いたかった」(作詞:秋元康)

AKB48の公式ライバル乃木坂46、その証がデビュー時の「会いたかったかもしれない」(2012)。前述の「会いたかった」のマイナー編曲版であり、MVも元映像の構成を忠実になぞっている。同じくエース生駒里奈が自転車で駆け、特別出演の前田敦子とすれ違う。落ち着いた服装で歩く前田は、一心にペダルを踏む生駒に遠い視線を投げかける。少女は大人になり、自転車に乗らなくなる。

また、乃木坂46の初期シングルは一連の成長譚だ。デビュー曲「ぐるぐるカーテン」は、男子禁制の女子同士の内緒話。続くセカンド「おいでシャンプー」では、男子の立場から淡い恋心を描く。髪の香りにときめく至近距離ながら、行動にはならない。そしてサード「走れ!Bicycle」(2015)で、相手の気持ちに気づかなかった男子が遅れを挽回しようとする。その加速装置が自転車に他ならない。

走れ!Bicycle
急げ!恋
全力でペダル漕ぐ
寂しくさせてしまった
君に追いつきたい

(中略)

駅前の渋滞のロータリー
君を乗せたバスが今やっと着く
最後のスパート立ち漕ぎで
君の名前をここから叫んでみる

乃木坂46「走れ!Bicycle」(作詞:秋元康)

AKB48がギャル、乃木坂46がお嬢様なら、続く欅坂46はレジスタンス。では、何に抵抗するのか? そのひとつは「月曜日の朝、スカートを切られた」(2017)に描かれる。MVでは学校の制服姿で踊り、欺瞞に満ちた学校と通学途上の被害を歌う。倒された自転車に泣き叫んで乗る姿が痛々しい。同じ立ち漕ぎながら、AKB48の無邪気さとは真反対。エンディングでは軍服風の衣装を纏って蜂起へと接続する。

どうして学校に行かなきゃいけないんだ
真実を教えないならネットで知るからいい
友達を作りなさい、スポーツをしなさい
作り笑いの教師が見せかけの愛を謳う

(中略)

月曜日の朝、スカートを切られた
満員電車の誰かにやられたんだろう
どこかの暗闇でストレス溜め込んで
憂さ晴らしか
私は悲鳴なんか上げない

欅坂46「月曜日の朝、スカートを切られた」(作詞:秋元康)

いずれの楽曲も秋元康の作詞・プロデュース。雰囲気や主張が異なるものの、ある種の類似性が感じられる。自転車に関しては、負荷が高い立ち漕ぎが多用されているのが特異だ。全力疾走にも通じる極限描写であり、何気なく制服や普段着で疾走する。ただし、僅かな距離しか走らない。これぞ十代の無謀と爆発、そして飽和の表象に相相応しい。翌日は筋肉痛を訴えそうだが、それを知る由もない。

一方で、自転車に対するこだわりはない。単なるママチャリ実用車だ。前カゴや荷台があり、変速はない。安価で堅牢だが、重量があり、乗り心地は悪い。整備しておらず、古びている。自転車は不可欠だが、愛着はない。つまり、自転車=下駄。これは筆者にとっても同様だった。ほとんどの人がママチャリ以外の自転車があることを知らない。「弱虫ペダル」(2008〜)は、アイドルの世界から程遠い。

ところで、若年者の移動手段には原動機付自転車(原付)もある。16歳から免許が取得可能で、15歳ながら『盗んだバイクで走り出す』こともあった。しかし、もはや話題にもならないほど原付は廃れた。時は流れ、流行も移ろう。かつての原付や現在の自転車の代わりに、電動アシスト自転車が人気を呼ぶだろうか。その時に、アイドルを通して描かれる移動は、どのように変化するのだろうか。

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