先の試論を公開したところ、小林昌廣からコメントが届いた。これが示唆に富んだ論考になっているので、ご本人の許諾を得て掲載する。ここでは、引用されていたビデオをインライン表示し、関連すると思われる歌詞を添えている。なお、これは「壮大な論攷の序論」であるとのメッセージもいただいている。本編の寄稿を楽しみに待ちたい。
<コメント author=”小林昌廣”>
秋元康氏は「ぼくという一人称」「自転車」「教室」といった設定をつねに死守することで詞を書いていますから、もはや「夕陽に向かって走ってバカ野郎と叫ぶ」世代ではないわけです。
もっとも、自転車からおりて、砂浜や街路樹やあこがれの空間で彼女たちが戯れたり悩んだりする場合もありますから、自転車はいわば彼女たちの「現実世界」であり、自転車に乗ってその場を離れる場合もあれば、自転車そのものから逃避する場合もあるのですね。
AKB48はいつも走っていますし、乃木坂46はそこにとどまってみんなで語らい、欅坂46は行き場を失い佇んでいます。ですから「自転車率」はどんどん減っていくかもしれません。(欅坂にとっては自転車すらも大人が与えた「制度」なのかもしれません)
AKB48の13枚めのシングルに「言い訳Maybe」という曲がありますが、これは自転車が口下手な彼女たちを代弁するカタチで、じつに雄弁にMVに登場します。
いつもの道を(いつもの道を)
走る自転車(走る自転車)
立ち漕ぎの
汗が揺れる
9月のそよ風休みの間(休みの間)
会えずにいたら(会えずにいたら)
君のことが
気になって来たんだAKB48「言い訳Maybe」(作詞:秋元康)
…。
そんなことをツラツラ思い、アイドルというアイコン以前の原節子が「晩春」で由比ヶ浜を疾駆する姿から始まり、山口百恵の「自転車の上の彼」という名曲を経て、おニャン子クラブの「真赤な自転車」からは秋元康の自転車ソングの時代となるんだな、などと考えていました。
彼が走る 太陽が追いかける
彼が止まる 太陽が追いつく彼が走る 太陽が追い抜く
汗にぬれた身体は
風が乾かしてくれるのね山口百恵「自転車の上の彼」(作詞:阿木燿子)
海へと続く坂道は
黄昏の運河みたいね
9月が過ぎて少しずつ
早くなった砂時計彼の背中 頬をつけて
ドキドキが聞こえちゃうわ真赤な自転車 2人乗り
真赤な自転車 風になる
このままどこかに連れてって
誰もいない防波堤おニャン子クラブ「真赤な自転車」(作詞:秋元康)
</コメント>