快楽原則 18: バランス

養老天命反転地 30周年記念イベント「養老天命反転中!Living Body Museum in Yoro」のプログラムとしてワークショップ「バランスからだ自転車」を開催した。天候に恵まれ晴れ渡った大きな空の下、摩訶不思議な自転車に悪戦苦闘の叫びや、乗りこなした歓声が沸きあがっていた。人の身体の「バランス」は根源的な能力であり、普段は意識しない快楽原則に他ならない。

このイベントに用意した自転車の中で、もっとも乗ることが難しかったのはハンドル反転自転車だろう。このハンドルは右に切れば車輪が左を向き、左に切れば右を向くようになっている。ペダルを漕いで前に進み始めた次の瞬間にバランスを崩して足をついてしまう。ハンドルを切らない、足で地面を蹴ってペダルを漕がない、などと工夫してもうまく行かない。結果的に誰一人として乗ることができない。

自転車のハンドルは進行方向を変えるだけでなく、いや、それ以上にバランスを取るために使われている。具体的には、倒れそうな方向に前輪を一瞬向け、接地点を体の下に戻すことで自転車は倒れずに走り続けるわけだ。従って、逆の方向に車輪が向くと、さらに倒れてしまうことになる。しかも、一連の動作は無意識に行なっているので、ハンドルが逆であると意識しても動作に反映できないことになる。

ハンドルの役割はペダル反転自転車に乗ると対比的に理解できる。これはチェーンを8の字に掛けており、ペダルを普通に漕ぐと空回りし、ペダルを逆回しにすると前に進むようになっている。これは一瞬戸惑っても、すぐに逆に漕げるようになり、意外と違和感がない。一方、ハンドルは通常の機構なので、難なくバランスを取ることができる。つまり、自転車のバランスはハンドルが担っていることが分かる。

さらにハンドルもペダルも反転させたトライクも簡単に乗りこなすことができる。この自転車は三輪なので、どのように乗っても倒れることがない。そもそもバランスを取る必要がないわけだ。ハンドルは進行方向を変えるためだけに使われ、これまた一瞬戸惑っても、すぐに動作を修正できるし、意識的に操れるようにもなる。つまり、二輪の自転車だからこそ、ハンドルでバランスを取っていることが分かる。

同じように倒れることがない四輪車としての連結自転車では、異なる種類のバランスが現れる。この自転車は2人で乗るので、2人の動作のタイミングやパワーを合わせる必要があるからだ。まさに「息を合わせる」バランスだ。結果的に2人の関係性が見えてくるのが面白い。2台の自転車を繋ぐ連結バーは強固に固定されないので、この関係性が際立つことになる。

もうひとつ、Halfbikeは立ち乗りの三輪車。前輪にペダルがあり、漕ぐと体重がかかって傾く。後ろの二輪は小さいので、体重を支えられず倒れてしまう。そこで、ペダルを漕いで少し傾くと、反対側に身体を傾けてバランスを取る。これをリズミカルに繰り返す。この微妙な動作は言葉で伝えても理解できない。しかし、数分間取り組めば乗れるようになる。一輪車に似ているようで、遥かに簡単だ。

撮影:瀬川晃

ところで、最難関のハンドル反転自転車であっても何週間も練習すれば乗れるらしい。ただし、今度は普通の自転車に乗れなくなる。これは意識的な判断ではなく、無意識の予測器(Predictor)の働きと言われている。感覚入力と運動出力を結びつける脳に内部モデル(Internal Model)だ。このモデルを書き換えるには多大な訓練が必要であり、ひとたび書き換えると元のようには動作しないわけだ。 

このようなバランス感覚は、一般に言われる感覚、すなわち五感に含まれない。そもそも五感はアリストテレスが著作「魂について(De Anima)」で体系化した古い概念だ。研究や制作では視覚と聴覚が偏重され、他の感覚は少ない。ましてやバランス感覚など身体感覚を扱う作品は僅かだ。開催地の養老天命反転地は稀有な先例だ。だからこそ、ここを出発点として探究したい。「バランスからだ自転車」!

【追記】志村翔太によるイベント・レポート「ほんの少し傾いた世界を走る」が公開されました。合わせてご覧ください。(2025.12.03)

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