ザンビア滞在の後、帰路の途中で砂漠の小国カタールの首都ドーハに立ち寄った。トランスファーで早朝到着して深夜出発なので、ほぼ一日かけて市内観光ができる。そこで入国手続きを行い、地下鉄の一日パスを買って市街地のコーニッシュ(Corniche)海岸へ向かう。駅も車両も近未来的で簡潔な美しさ。海辺や公園での快走に心を描きながら、なぜかドーハの悲劇という言葉が頭をよぎる。
炎天下の放浪
地下鉄の駅から地上に上がって驚いた。朝なのに気温は40℃近い。眩い陽の光に照らされ、乾いた熱風に吹かれながら歩き始める。美しく整備された広大なアル・ビッダ公園(Al Bidda Park)は、清掃員以外は誰もいない。隣接する道路には大量のクルマが行き交っている。なんとか辿り着いたレンタル自転車ショップは開店が夕方だと知る。WEBサイトには営業時間がなく、Googleマップの情報は間違っていた。
伝統的な市場
途方に暮れながら歩き続けて公園を抜け出し、脱水症状気味でカフェに辿り着く。当初は自転車で市内を回るつもりであったものの、この炎天下では無謀だと悟る。自転車は気温が下がる夕方までお預け。そこで近くの伝統市場スーク・ワキーフ(Souq Waqif)へ。狭い路地も日陰なら少しだけ涼しい。伝統的なカタール建築ながら、近年焼失して再建されたらしい。カタール料理のランチは可もなく不可もなく。
カタールの歴史
その後、伝統的なダウ船が係留されている港に立ち寄り、イスラム美術館は休館日だったのでカタール国立博物館へ。ジャン・ヌーヴェルが設計した砂漠の楼閣で、ベトウィンの時代から石油の発見と繁栄に至る歴史を辿る。そして石油枯渇後を見据えたインバウンド産業としてのカタラ文化村(Katara Cultural Village)やパール島(The Pearl Island)は、絢爛豪華な巨大ショッピング・モールだった。
市街地の自転車
午後はさらに日差しは強く、気温は40℃を超えている。街角には駐輪設備があり、それ以外にも自転車が停められている。しかし、自転車に乗っている人は見かけない。市場や商店街を除いて歩いている人も少ない。昼間はクルマや地下鉄で移動するのが常識なのだろう。夕方近くになっても気温が下がる気配がない。しかし夕暮れてから自転車に乗るのは心許ない。意を決して市街地の外れに向かう。
世界最長の自転車専用道路
向かった先はオリンピック・サイクリング・トラック。世界最長の33kmに及ぶ完全な自転車専用道路は、他の道路と交差することはない。つまり中断されることなく、ひたすら自転車で走り続けることができる。もちろん路面の状態も申し分ない。アップダウンは少なく、適度にカーブしながらも直線的なコース。未来的な建造物と砂煙舞う砂漠が入り混じって左右に広がる。
灼熱地獄の快楽
夕刻でも気温は下がらず、乾燥した向かい風が強く吹く。巨大なドライヤーに吹かれている気分。熱中症で倒れかねないので、数kmで切り上げて引き返す。もっとも復路は追い風なので、ペダルを漕がなくても風になる。これぞ灼熱地獄での快楽原則。調子に乗って脇道にそれるほど浮かれてしまう。道端の表示では気温は41℃、当日のサイクリストは27人、今年は2万人近い人が走っている。
砂漠のオアシス
巨大な高層ビル群や豪奢な商業地と同じく、この素晴らしい自転車道は広大な砂漠に楔を打つオイル・マネーの賜物だ。不自然な営為の集積であり、緑化が止まれば一瞬で砂塵に帰すだろう。その中でロード・バイクを借りたショップRasen Sportsは機材が充実しており、レンタル料も適正。とても親切なスタッフと和かなサイクリストはオアシスに集まるベトウィンの末裔かもしれない。
ドーハの自転車
このように僅か一日の滞在でも、ドーハは強烈な印象を与える。熾烈な自然環境と豪奢な都市環境との差が激しいからだ。暑い時期なら気温が50℃にもなる街で、少なからず見かけた自転車の役割は掴みきれなかった。しかも日本に着いた時、夜で気温は27℃にも関わらず、ドーハ以上に暑く感じた。亜熱帯雨林化する日本、ドーハの悲劇はまさに我が事に違いない。
【追記】2ヵ月後の9月9日にイスラエルがドーハを空爆した。報道によればワディ・ラウダン通り(Wadi Rawdan St)にあるウォコッド・ガソリンスタンド(Woqod Petrol Station)近くのハリール・ハヤア交渉団長(ハマス幹部)の自宅が標的だったと言う。猛暑の中を彷徨ったカタラ文化村やオリンピック・サイクリング・トラックのすぐ近くだ。ザンビア滞在中にもイスラエルがイランを攻撃し、カタールがドーハを含む領土全域の空域閉鎖を行なっている。(2025.09.30)







