移動における「確かさ」とは何だろう(3) 修正プロンプトライド編

本記事はサイクリングを通して移動における確かさを探る短期連載の最終回。会話型AIが生成した「偶然」によるサイクリングの実践記となる。

前回の直感によるライドでは、「偶然」というTipsを見つけ、実りのある実験が出来た。一方で、会話型AIとのライドも諦めておらず、空き時間を見つけてはプロンプトの修正に勤しんだが、芳しい結果はあげられなかった。そこで移動に際して必ず定量化出来る方角と距離をランダムにシュミレーションをすることで、直感ライドの際に気付いた面白さである「偶発性」を生み出すことが出来るのではないかと考えた。

ルールの設定を行い、ChatGPTにシュミレーションを依頼する。よろしくお願いします。

下記は出力結果。

出力結果を地図上で測量し、目的地点へピンを立てた。

それでは実際にライドしてみよう。


初回のAIライドと同じく、ソフトピアジャパンを起点として、出力結果地点へ向けてライドを行う。方角が変更となる地点で曲がり切れないときは、nメートルを超えた後の一番近くで曲がることにする。便宜上、10回の出力結果を上から順番にAからJまでアルファベットを割り振り、移動していくものとする。

地点Aへのライド

ソフトピアジャパンを10:30に出発して北へ向かった。普段何気なく通り過ぎていた地蔵の前に花が生けられていることに気が付く。地域で大切にされているのかもしれない。

地点Aにはたまたま寺があった。本堂の脇には鐘があり、道の脇には風化した石碑があった。昔の文献をしっかり読んでいるわけではないので定かではないが、大垣に寺が多いのは城下町として栄えていた名残だろうか。

図らずもAIライドの際に訪れた、加賀野名水公園の近くだったので水を汲みに行く。快晴ではなかったが、梅雨の切れ間のような晴れの日。AIライドの時よりもいくらか夏に近付いている。汲んだ水はひんやりとしていて、水筒に満杯まで充した水を一口で半分飲んでしまった。

この時点では自分が重大なミスを犯していると気が付く由もなく、半分空になった水筒を再び水で満たす・・・。

地点Bへのライド

小川に沿って伸びる道を南進する。200メートルだったのですぐに到着してしまった。地点Bの目と鼻の先には、お好み焼き屋さんがあり、名物おばちゃんがいて面白い。定休日だったので残念ながら伺えず。駅からいくらか離れた場所にも関わらず、付近には商いの印となる看板がちらほらあって、その前には車が数台停めれるくらいのスペースがある。自転車と車の移動スケールを比較しながら、どこか遠くの街の景色とカーステレオから流れる音楽をブレンドする自分を想像する。しかし僕は自動車の運転が出来ない。

地点C〜Dへのライド

来た道を引き返しつつ、高架下を通る。落書きがない辺りに治安の良さを感じた。高架下には建設している時に書かれた文字や記号が残されていた。

「H21.12変化なし」という文字が気になる。

平成21年から14年経ち、年号が変わり、何度も雨に打たれ風に吹かれ、それでもびくともしない姿に恐れ入る。
コンクリートの壁を抜けたすぐ先に地点Cはあった。

地点Cから地点Dへの移動は畦道を走って南へ進む。途中、ロードバイクでスイスイ走る人と何回かすれ違った。みんなどこからやって来て、どこへ行ったのだろう。僕はコンピュータが出力した値に沿って近所をひたすら徘徊している。桜が植えられた水路沿いを沿ってテニスコートの脇に地点Dはあった。ちょっとサイクリングしただけなのに、何度も何度も水路や田園が目に入った。改めて大垣が水の都と呼ばれる所以を思い知る。

地点Eへのライド

はじめての西への移動だった。在籍している大学院と寮の間の道をライドする。言ってしまえば見知った道、通学路だ。

移動をする時、自分は常に日常からの逸脱を求めているのかもしれないとふと思う。地点Eの近くには、初見なら思わず足を止めてしまう食虫植物のような珍しい葉や、立派な石の鳥居のある神社があるが、毎日見ているうちに無関心になってしまっている。

地点F〜G〜Hへのライド

紫陽花。朝顔。迫る夏に心躍る。田んぼの中に時々見かける白色の鳥がいた。大垣へ引っ越してきた4月には一度も目撃したことがなかったので、渡り鳥なのかもしれない。地点Cへ移動した時、地点Dへ移動した時と同じ道を通る。スタートした時と比較して、目の前に広がる風景よりも自分の心象風景に思考が寄ることが多くなった。

地点Gへ向かう際に、初めて車通りがある道へやってきた。そこから南に99メートル移動して地点Hへ。地図上ではラーメン屋があったので立ち寄ろうと思ったが、どうやら閉店しているみたいだった。

地点I〜Kへのライド

地点Hの消えたラーメン屋の前で、移動距離や点と点を結んだ際の計算が合わないことに気が付いた。初夏の陽射しを浴びながら路上で2回3回と計算し直しているうちに、どうやらスタート地点のソフトピアジャパンから地点Aへ向かう際に、誤った場所へ訪れていたことが発覚した。

散々プロンプトエンジニアリングをしながら、ChatGPTの間違いをテキストで指摘して得意げになっていた自分の愚かしさを恥じた。AIも間違えるし、人も間違える。Googleマップ上にはラーメン屋が存在しているが、目の前にあるのはかつてそこで何かしらの営みがあったであろう空になった店舗の痕跡と、ガムテープで文字が隠された看板である。

移動における「確かさ」とは何だろう。一体何が本当で、何が嘘なのだろう。新しい問いは繰り返し脳裏を循環する。ゲームコントローラーを操作して運動をさせていたテレビゲームの主人公を演じるような気持ちで、まだ訪れていない地点の方向へ車輪を傾けた。

個人宅のために写真の掲載は控えるが、最終地点は立派な蔵があるお屋敷の横道だった。
「始まりが終わりで、終わりが始まりのライドだったな・・・」と、奥の細道の最後の地を巡っているからか。少し詩情が混じった感想をメモ帳に記録する。全部で2時間くらいのライドだった。

まとめ

合計3回の趣が異なるライドを通して、目的地の確からしさや偶発的に移動をすることなど、複数の観点で「移動すること」を見つめ直した。

筆者としては2回目3回目に行った、偶発的な移動における絶対に歩かないであろう脇道を進む楽しさや、移動の目的を設定することで無名の場所が観光地へ変わる体験がとても面白かった。日々GoogleMapを眺めて、レビューの多さや星の数で目的地や行きたい場所を決めたり、Instagramで多くいいねされている場所に興味惹かれる体験とは異なり、予定不調和な時間の流れ方がどうしてかとても新鮮に感じた。

思うに人の一生は目的を乗り降りする連続だと思う。朝起きて顔を洗ってご飯を食べて歯を磨いて、ちょっとした日常の中にも目的が層のように重なり続けている。移動することもまた然り。右折左折の判断やペダルへの力の入れ方と相まった一瞬一瞬の連続の中に、結局どこにも行けないかもしれないが、どこかへ辿り着く選択が詰まっている。

辿り着いた場所を愛そう。そこが出会うべきだった場所だ。
今後も今回とは異なる形で移動についての思索を実践を通して深めていきたい。

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