渋谷区立松濤美術館で開催されていた画家、フランシス・ベーコン(1909-92)の展覧会が閉幕した。今回の展示の目玉となっていた「Xアルバム」と呼ばれるドローイングの中に、「自転車選手の写真上のドローイング」2点が含まれている。
生前のベーコンは、自身の創作プロセスに関する情報を緻密にコントロールし、絵画の準備のためのドローイングやスケッチはしないと語っていたという。ところが、ベーコンの死後、残された膨大な遺留品の中から、画家自身が作り上げたセルフ・イメージを覆すような資料が見つかった。今回展示された「Xアルバム」の一部もそのひとつで、油彩画作品との関係は明らかではないというものの、その雄弁さに惹きつけられる。ミック・ジャガーなどの著名人の写真上のドローイング、ファン・ゴッホやエドガー・ドガのような古典名画の複製上のドローイングと並んで、ボクシング、陸上、サッカー、自転車、レスリングをはじめスポーツ競技の決定的瞬間を撮影した写真上のドローイングが残されている。
画像の多くは元の文脈から切り離されており、コレクションされた意図は定かではない。とりわけ、スポーツ競技の写真に重ねられたドローイングの激しい筆触から推測されるのは、極限状態の身体の動きに対する関心だ。それだけでなく、二次創作的な行為からは、複製され流通したイメージを反芻し、所有することへの画家の欲望も感じられる。
改めて、自転車選手の写真上のドローイングを観てみよう。ドローイングの筆触には、静止画から速度のイメージを立ち上げているような感覚がある。写真はそれぞれ選手の顔やユニフォームがうっすら見え、報道写真からの切り抜きと思われることから、年代やレースの目星がつく方もおられるかもしれない。奇しくも展覧会期の翌日、6月21日から始まったツール・ド・フランス2021の映像を眺めながら、ベーコンが捉えようとした瞬間が何だったのかを想像せずにはいられない。
(画像はすべて「フランシス・ベーコン」展図録(渋谷区立松濤美術館)より転載)