松本俊夫の銀輪、そして憂鬱のアーカイブ

日本の実験映画の第一人者である松本俊夫の「銀輪」(1956)は、自転車を題材とした12分弱の短編映像で、日本自転車工業会が自転車の輸出促進のために発注した宣伝映画だ。これが東京大学を卒業後入社したばかりの映画会社での初監督作品だから恐れ入る。しかも制作に参加した山口勝弘武満徹らも駆け出しだ。才能も技量も未知数の若手集団に任せるほどの進取の気概があったわけだ。

制作の経緯もさることながら、その内容は何とも奇異だ。冒頭の少年が無言で絵本のページをめくる場面からして不気味さが漂う。そして絵本がぼやけて荒涼とした異空間が現れ、抽象的な光の模様や小さな球体の群れが飛び交う。さらにハンドルやフレーム、ホイールなどの自転車部品が空中に浮かび、回転し、揺れ動き、駆け回る。この間、武満徹の変調音が執拗に繰り返される。

唐突に明るくなると半ズボンの少年が現れる。地面に散乱したホイールを二人の女性が拾い集めると、次に何人ものロード・レーサーが走り抜け、二人乗りのタンデム自転車が通り過ぎる。場面が暗転すると今度は大小何台もの自転車に乗る人々が空中に浮かび上がり、前に進むことなくペダルを漕ぎ続ける。その光景に心を奪われているのだろうか、少年は立ちすくみ、周囲を見回している。

やがて黛敏郎による弦楽の穏やかな調べが流れ、今度は少年が自転車に乗っている。その視線だろうか、映像は野原や森を駆け抜ける。水辺を過ぎれば白嶺のフジヤマが現れる。少年はペダルを漕ぎ続け、光の模様に包まれてゆく。そして最後は絵本を前にしてうたた寝から目を覚ます。目を擦りながら、一連の体験は夢の中の出来事だったことに気づく。絵本にはBICYCLE of JAPANと題字が書かれている。

さて、この物語の映像は全編に渡って重く暗く淀んでいる。自転車を宣伝する役割はともかくとしても、自転車の疾走感や爽快さが皆無であるのは疑問だ。もちろん、単純に映像を重ねることすら高価な機材と多大な手間がかかった時代だから、先進的な奮闘には敬意を表したい。ただ、それにしても実験精神というヘッド・ワークに終始して、感覚や肉体を置き去りにした空虚感を感じてならない。

例えば、序盤の乱舞する自転車部品は機能ではなく、単なるフォルムとして選ばれたように思える。原材料から部品、完成車へと続く流れもおざなりだ。あるいは終盤の野原や森を駆ける映像は、カメラを自転車ではなく自動車か汽車に載せて撮影したように見える。実際には熱意溢れる取り組みだったかもしれないが、自転車が実験材料に過ぎなかったとすれば、何とも不幸なことだ。

ところで、長らく行方不明であった「銀輪」のフィルムは2005年に発見され、2009年にデジタル技術によって復元されている。その経緯と松本俊夫へのインタビューは東京国立近代美術館の研究紀要に収録され、PDFとして公開されている。復元されたフィルムは国立映画アーカイブ(旧・東京国立近代美術館フィルムセンター)に所蔵されている。

ただし、国立映画アーカイブの所蔵作品検索では「銀輪」が見つからない。この点を問い合わせたところ、本作は商業映画に分類されるのでデータベースに登録していないという不可解な理由だった。また、この映画を見るにはいつとは分からぬ企画上映を待つしかない。研究者であれば有償の特別映写を申し込めるものの、日時を調整しなければならない。いずれにしても現地に赴く必要もある。

「銀輪」は日本の最初期の実験映画として重要であり、しかもデジタル復元されている。それが検索も閲覧も簡単にできないのは大問題だろう。昨今の新型コロナウイルス感染予防の観点からも、デジタル化された国有財産はオンライン公開して欲しい。筆者は本作を高く評価しないが、異なる意見もあるはずだ。そのような議論が起こり、考察が深まることこそが、アーカイブの目的なのだから。

【追記】松本俊夫はどのように自転車を捉えていたのだろうか? 先に挙げたデジタル復元のインタビューでは言及されていないので、初期作品についてのインタビューを取り寄せた。このインタビューは全58ページで、そのうち「銀輪」には4ページが費やされている。しかし、大半は駆け出しであった若い制作陣の苦労話に終始する。自転車への言及は僅かであり、以下に引用する通りだ。

それと、撮影しているところの写真が二、三枚出て来たんですよ。その写真に写っているのは、自転車の輪が、空中にたくさん、UFOのように、ふわふわ現れて交錯していく中に、少年が自転車に乗って、銀河鉄道のように向こうへ過ぎ去っていく場面のベースになる部分なんです。銀のリングを一つ一つハイスピードで回しながら撮って、それを組み合わせて合成していったんですね。

「松本俊夫インタビュー 初期作品を巡って」(川崎市民ミュージアム紀要第14集、2001)

この発言での自転車を自動車に置き換えても、その趣旨は何も変わらない。松本にとって自転車は素材に過ぎず、請負仕事を自分の関心領域に持ち込んだわけだ。完成した作品を見たスポンサーや会社上層部が「わからない、何とかしないとこれでは困る」と憤慨したらしい。それもそうだろう、自転車フリークである必要はないが、対象の理解と敬意なしには共感は得られないはずだ。(2020.12.22)

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