萩原朔太郎の自転車日記

「月に吠える」や「青猫」といった詩集の作者、萩原朔太郎は、繊細な感受性と深慮ある叙情性で知られている。今風に言い換えるなら、軟弱なヘタレで憂鬱なビョーキと揶揄されそうだが、そんな彼も自転車に熱中していたようで、「自転車日記」なる短い随筆を残している。明治の文豪、夏目漱石の自転車日記と同じく、大正の詩人による自転車との格闘記だ。筑摩書房の文学全集などに収録されている。

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すでに死後50年が経過しているので、著作権は消滅している。青空文庫などにはフリーの蔵書が登録されていないが、個人の方がブログで全文掲載されていた。原文は口語だが漢字カタカナ文で、古風な言葉遣いも少なくないので、やや読みにくいと感じないでもない。そこで、以下のように現代文に直してみた。「してみた」レベルなので、勘違い等問題があればご教示いただけると有り難い。

自転車日記 萩原朔太郎

 12月20日 今日から自転車を習おうと思った。貸自転車屋に行って尋ねると、レンタル料は半日で20銭と言う。そこで1台を借りて、付近の空き地に移って稽古をした。乗るはとても難しい。ペダルを踏むとすぐさま転倒する。そこで人に頼んで車体を押してもらい、ようやく自転車の上に乗った。しかし一歩踏めばすぐに転倒し、自転車もろとも地面に落ちた。身体は皮膚も筋肉もひどく痛み苦しんだ。なので中断して帰った。

12月21日 弟を連れて教師になってもらい、早朝から練習をする。ようやく僅か数歩だけ踏むことができるようになる。しかしそれでもすぐに落ちてしまう。弟が言うには、この様子は酔っ払いの千鳥足に似ているらしい。

12月23日 今日始めて正常に走ることができた。快いことは言うまでもない。しかしまだ真っ直ぐ進むだけである。曲がってみようと思って取っ手(ハンドル)を動かすと、その瞬間たちまち転倒する。弟が言うには、自転車の原理は物理力学の法則に基づくそうだ。倒れないようにして走るには、重心の安定を保つことで行う。その重心の位置は腹部にある。君は単にとってを動かして右に曲がろうとした。それで転倒するのは当然だろう。うまい具合に腹部を用いるべきらしい。私はこのような物理を理解して、初めて要領よく乗ることができた。こうして場内を一周して、自由に運転して失敗することがなくなった。内心で得意に思ったことは言うまでもない。試しに空き地の外へ出て、広く街中を走ろうと思った。そこで外へ出て走ると、すぐに坂道の傾斜に出くわした。疾走してどんどん加速度が増し、不安が高まり、動揺する。前方に数人の歩行者がいた。私は自転車から叫んで言った。危ない、危ない、避けて、避けてと。歩行者は振り返って笑いながら言う。お前こそが避けるべきだと。私は人を避けようとして、誤って崖に衝突した。自転車は弓のように湾曲し、私は路上に転落して数ヶ所の打撲傷を負った。自転車を担いで自転車屋に運んだところ、損害料として5円を取られた。私は心に誓って、もう二度と自転車には乗らないと決めた。

1月10日 先日の後悔を忘れて、また自転車の練習を始めた。私が(以前に)借りた自転車は、廃棄物同然の中古品で、もとから制動機(ブレーキ)の設備がなかったことを、今になって知ることになった。

1月15日 既に完全に熟練して、市中を縱橫に走っている。徒歩であれば数時間はかかる遠路を、僅か1時間で走り、しかもほとんど疲労を覚えることがない。この世にこれほど爽快なことはないだろう。今日は地図と磁石を持って近県の町へ遠乗りした。もし汽車で往復するなら、約50銭の旅費が必要なところだ。それが私が費消したものは二杯の汁粉(ぜんざい)の代金8銭だけだ。自転車の利得は、このように大きなものだ。父は、お前は何の用事があってその場所に行ったのだと尋ねる。私は、用事はない、単に散策だけだと答える。父が大いに笑って言う。用事もなく出かけ、無益にも8銭を費消して、何の得があるのだ。お前は小学生の算数も知らないのだな、と。

3月1日 市中を走っていた。前に一人の老婆がいた。ベルを鳴らしたが聞こえない。道路が狭いので避けるのが難しく、衝突して老婆を倒した。私は驚いて助け起こし、怪我がないかを尋ねる。幸いなことに僅かな傷もない。私は頭を深く上げて陳謝し、手をつくして無礼を謝ると言ったのだが、老婆は頑として聞かず、大声を上げて私を罵倒して言う。お前は何の怨みがあって私を倒したのだ、と。その風采はとても賤しい。想像するに、これは謝礼金を要求するつもりだろう。そこでお金を少し出して、密かに手に握らせようとしたところ、老婆はこれを地面に投げ捨てて、更に怒って罵声を大きくする。私は恐れ怖じけて何をするべきか分からない。困って動きが取れず、何度も詫び言って謝ることを繰り返す。気がつけば耳元に騒がしい声が聴こえる。見ると群衆が四重にも取り囲んで騒いでいる。私はひどく気恥ずかしくなって、進退を極まった。幸いなことに私のことを知っている人がいた。彼は近づいて老婆をなだめ、よくやくながらその怒りを解くことができた。思い出として日記に記しておく。

(昭和11年11月)

底本: ちくま日本文学036 萩原朔太郎(筑摩書房)

昭和11年の執筆だが、実際には大正10年の暮から翌年にかけての出来事。前半の自転車の練習過程での格闘と、後半の自転車に乗り出してからの市中での失敗と、いずれも苦労話が主体だ。練習で貸自転車を壊して弁償させられ、二度と自転車に乗らないと誓いながら、何日か後には練習を再開する無邪気さ。自転車で遠出をして、おしるこを2杯も飲む空腹ぶり。いずれも、神経質な詩人の印象からは程遠い。

また、自転車に乗れるようになって「この世にこれほど爽快なことはない」と感じるのは大いに共感する。が、それなら私でも書ける。詩人なら、もう少し気の効いた表現を探って欲しい。また自転車で坂を下って「どんどん加速度が増す」のは、重力加速度は一定だから間違い。おそらく「速度」を言いたかったのだろう。物理学に弱いことは文中で言及されているので、弟君に監修を依頼すべきだった。

もっとも、この小文の不備を指摘するのが本望ではない。むしろ、詩人にあるまじき単刀直入な言い回しや、十分に推敲されていない勢い余った文章にこそ、朔太郎の自転車に対する思いが滲んている気がしてならない。何度も転倒し、出費もかさみ、トラブルに巻き込まれながらも、それでも自転車に惹かれていたに違いない。この日記を記した後の自転車との関係、詩作との関係も知りたいところだ。

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