落葉松に落葉松の風―晩秋の信州をゆく週末バイクパッキング

土曜の未明から信州へ出かけた。最低気温が0度を下回る高原に集まりキャンプをする約束をしていて、そこへ行くのに通ってみたい道があった。季節やエリアも含め、自分にとっていくぶん冒険性を伴うルート。文明から離れる方向性を帯びた自転車旅のことをバイクパッキングというが、短いながらそんな感じのツーリングができた。道中のメモを元に、その手触りを振り返ってみたい。

「落葉松」の名前を思い出したのは、山に入ってしばらくしてのことだ。列車を降りる前から、沿線の里の背後に並ぶその針葉樹の色にひときわ目を惹かれていた。メタセコイア、ラクウショウ、と武蔵野でみられる樹の名を頭の中で呼び、分からないまま自転車に跨がって走り始めた。

鉄道が通る谷を刻んだ川、その支流を遡る形で標高を上げていく。畑の脇を通過する自分を、タイヤのパンクを思わせる獣害対策の電子音が戦慄させる。林の中を登っていくと今度は鹿の声がして、谷側の斜面を跳ね下る二頭の後ろ姿が見えた。

グラベルに入ってすぐの林の心地良さは格別だった。砂利の粒は細かく、広い道幅いっぱいに柔らかい針状の落ち葉が積もっている。裸になった木々の間にたっぷりと陽が注ぐ。それは他の生き物たちにとっての豊かさとは別だけれど、一個の人間としての自分はとても安らいでいた。樹の名前はまだ忘れたまま。

次第に広葉樹の落ち葉が深くなり、ガレ具合もやや増してきた。荷物が重く、また舗装路の登りで思いのほか疲れてしまったので、路面の悪いところは傾斜が緩やかでもしんどい。無理せず自転車を押し歩き、身体を休めながら進む。日陰には昼間でも霜柱が残っていて、通るとボリボリ厳つい音がする。一カ所だけあった洗い越しは秋の終わりにしては水量が多く、ほんの数歩ではあるが足を置く石の選択に丁寧さが求められた。

崖の脇を過ぎてふと気がつくと、下生えに笹が目立つようになっている。葉と葉が擦れる音で風に意識が向く。穏やかな、優しい風だ。林の中の白樺の割合も多くなってきた。葉の落ちた白い木立の向こうに別の山並みが見える。開けた日向でしばし休憩。バックパックから駅の蕎麦屋で買ったおにぎりを出して食べる。旨い。

広さと滑らかさの戻った道を淡々と進む。午後二時台でも山のこちらは日陰ばかりだ。薄い霜柱をタイヤがサクサク踏み潰してゆく。「ササ、シラカバ、カラマツ」と名前が口をついて出る。そうだ、落葉松だ。

世の中よ、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。

北原白秋「落葉松」

白樺や落葉松の向こうの空が広くなってきた。時折モーターサイクルの排気音が聞こえる。峠へ抜ける街道が近いのだ。間もなく終わるグラベルは、開放感と優しさと少しばかりの険しさの同居する静かで美しい道だった。そのようにこの道を作った人々がいて、また落葉松を植えた人々がいる。ここは半ば野であり、半ば庭である。

街道に出てからもまた一仕事だ。舗装路の登坂は地面との対話が少なく、どうしても黙々とこなすだけの作業という感じが増す。疲れももうずいぶん蓄積している。だが一時間ほどペダルを漕ぎ続けて峠へ辿り着き、ほとんど隠れていた太陽がまた現れると、安堵と高揚が一気に胸にあふれ出す。凍結による路面のひび割れの補修部が、低い西日の逆光を浴びて黄金を流したように輝いている。この道行きは祝福されている。

下り坂、遠景に青く浮かぶ山々のシルエット。手袋を二重にして厚手のレインジャケットを着ていてもダウンジャケットをしまったままではまだちょっと寒いが、ハイになっているのでそれほど気にならない。ゆっくり降りるより陽のあるうちに標高を下げた方が暖かいだろう。傾斜が緩いところは漕ぎを入れ、身体が固まってしまわないようにする。季節と時刻、見晴らしの良い道、転がっている自分が一つのものになって喉から歓声があがる。あっという間に山裾に至り、辺りの落葉松の枝に褐色の葉が戻る。

五時にキャンプ地に入り、各々のルートで来た仲間たちと合流。すっかり暗くなる前にシェルターを設営できて嬉しい。十分ほど遅れて最後の一人が到着、全員が揃ったところで焚火が始まり、それを囲んで夕食となった。

年に一度のこの会は、単独で自転車キャンプをこなせる状態であることを参加条件としている。それでも十人前後が集まると合流の前後で旅の性質は大きく変わる。そんなわけで、未明に出発してからここまでの約十二時間が今回の「自分の」バイクパッキングだったのだと思う。立派な峠を一つ、途中にグラベルを挟んで越えたに過ぎないが、季節は晩秋、野営のために用意した装備は重く、積載も未舗装路での挙動の軽快さを欠いており、全体としてなかなか大変で真剣さを要した。そしてそれが面白かった。

日曜は皆と一緒に近辺を走り、疲労と充足感と今後の構想でいっぱいになった心身を焚火の匂いで包んで日々のベースキャンプに戻った。

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