正月を継ぐ

2026年元日の朝、まだ暗いうちに淡路島を臨む大蔵海岸の「龍の湯」へ向かった。元旦特別早朝営業をしているこの銭湯は、初日の出を見るための特別な場所だ。娘はさきに女湯へ、私は入湯順番待ち列で30分ほど遅れて、露天岩風呂に浸かりながら待つ。午前7時ごろ、東の空から光が差し込み始めた。

私は太陽そのものを見ていたわけではない。岩風呂の岩を背にして、朝日に照らされた湯船の人々の顔を眺めていた。柔らかな光が横から差し込むと、湯気の中に浮かぶ顔が少しずつ輝きを増していく。誰もが同じ一年の始まりを、温かい湯の中で、または、湯船に入りきれない人たちは寒そうにしながらもデッキの上で迎えている。特別な言葉を交わすでもなく、ただそこに居合わせた人々の表情が、新年を静かに物語っていた。

銭湯を出て、娘と一緒にうどんを朝食にとり、自転車にまたがる。今年も昨年と同じルートを辿ることにした。


娘と二人で出かける元日のサイクリングは、すでに恒例行事として定着している。定着しているのだ。そのきっかけは2021年正月、新型コロナウイルス感染拡大によって多くの行事が中断される中、屋外であり、かつ一箇所に人が密集しないサイクリングならば実施できるだろうと考えたことだった。

以来、淡路島へ渡ったり、須磨・明石を目指したりと、毎年違う場所を訪れてきた。昨年、垂水のアウトレットモールを目的地に選んでからは、「同じ場所へ行く」という選択肢が私の中に生まれた。新しい場所を開拓することも楽しいが、同じ道を辿ることにも意味がある。

伝統とは、一度きりの出来事ではなく、繰り返しによって形づくられるものだ。正月に自転車で出かけるという形式が、私たち親子の間では”伝統”として根付きつつある。そして今年、昨年と同じルートを走ることで、その伝統に新しい層が重なった。


国道2号線を走りながら、眼前に海の広がる塩屋までたどり着き、15歳になった娘の後ろ姿を見る。昨年の記事で触れた自転車店の店主の記録「14歳まで」を、すでに更新している。もちろん、これは誰かと競うような類の記録ではない。ただ、親子で自転車に乗り続けるという営みが、年を重ねるごとに少しずつ意味を変えていくことは確かだ。

相変わらず、アウトレットモールは元日から賑わっている。車で訪れた人々で駐車場は満車状態だが、自転車置き場はゆったりしている。この光景も、昨年と同じように見えて、今年は何台か自転車も駐輪されている。

フードコートでカオマンガイを注文する。これも昨年と同じ選択。茹でた鶏肉の出汁で炊いた米、さっぱりとした味付け。サイクリングの補給食として理想的なこの料理を、今年も同じ場所で食べる。同じ選択を繰り返すことが、むしろ心地よい。

海を臨みながらデザートを食べる。対岸の淡路島は、いつもと変わらずそこにある。


「また同じ場所に行くの?昨年の記事のコピーではないの?」そう思う人もいるかもしれない。それは当然である。しかし、同じ場所へ行くことは、決して退屈な選択ではない。むしろ、前回との違いを発見する楽しみがある。季節は同じでも、天候は少し違う。店の並びが変わっているかもしれないし、自分たちの感じ方も変わっている。

正月に自転車で出かけるという形式。同じルートを辿るという選択。カオマンガイを食べるという些細な習慣。これらすべてが、少しずつ私たちの”伝統”として編み込まれていく。

もし将来「正月に、大人世代と子ども世代が自転車を連ねて出かける姿」が当たり前の光景になったらどうだろう。それは遠い未来の話かもしれないし、すでに各地で始まっている営みかもしれない。

私はただ、同じ道を、もう一度走る。それだけのことだ。しかしその「もう一度」が積み重なることで、いつか太い縄のような何かが編み上がっていくのだろう。

今年も、娘と二人で自転車を漕ぎ出した。昨年と同じ道を、新しい一年の始まりとして。


One comment

  1. 今年もクリティカル・サイクリングが娘さんの成長報告になりましたね。素晴らしい〜ぜひ来年も!

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