ポール・オースターと自転車

2024年4月30日、ポール・オースターが亡くなった。アメリカ当代きっての小説家、詩人。その小説の多くは主人公が自己の同一性と存在意義に苛まれ、夢遊病のように都市を彷徨い、あてどもなく荒野を旅する物語だ。愉快な話はひとつもない。それなのに、読み始めると引き込まれてしまう。当人は眼光鋭く、いつも厳しい表情をしている。インタビューなどでもまず笑わない。

彼は長らくニューヨークのブルックリンに住み、小説の舞台としてもニューヨークを扱うことが多い。ニューヨークと言えば、メッセンジャー、グリーンウェイ、そしてストリートファイトなど自転車が盛んであり、世界的にも先進的な地域だ。煌びやかな五番街や緑溢れるセントラル・パークはともかくとして、裏通りを走る求道的な自転車は、いかにもポール・オースターの小説世界に似つかわしい。

ニューヨークの自転車を描いた短編映画
(ポール・オースターとの直接的な関係はない)

だが、ポール・オースターの小説で自転車は思いあたらない。熱心に読んでいたのは何年も前だから、既に記憶は薄れている。十数冊かの紙書籍は、電子書籍が普及し始めた頃に売り払った。そこでAIに尋ねてみる。「人生の旅と成長のメタファーとして自転車」といった、いかにもそれらしい回答が返ってくる。だが、ほぼすべてハルシネーションではないだろうか。

ChatGPT(左)Gemini(右)
Claude(左)Perplexity(右)

次にKindleで入手できる著作を調べてみる。ニューヨーク三部作の「ガラスの街」(1985)では一瞬現れるだけで、「幽霊たち」(1986)には自転車は登場しない。ChatGPTやGeminiが挙げた「ムーン・パレス」(1989)にも自転車は現れない。後期の「ブルックリン・フォリーズ」(2005)、「闇の中の男」(2008)、「サンセット・パーク」(2010)でも小道具として言及される程度だ。

スティルマンとの初めての対面はリバーサイド・パークで生じた。午後なかば、自転車や、犬を散歩させる人、子供たちが行き交う土曜日だった。

ポール・オースター「ガラスの街」(1985)

父親は他界していたが、母親はまだぴんぴんしていた。家の最上階の一番広い寝室に住み、日曜日はいつもプロスペクト公園で自転車を乗り回し、五十八歳のいまもマンハッタン中央部の法律事務所で秘書をしている。

ポール・オースター「ブルックリン・フォリーズ」(2005)

ジョイスにとって運動は単なる義務にとどまらず快楽であり、日曜の朝六時に起きて自転車でプロスペクト公園を回るのが週末の愉しみである。

ポール・オースター「ブルックリン・フォリーズ」(2005)

やめておけよ、ジョイス。パンチにパンチを返すのはよせ。あごをしっかり引けよ。気楽に行けって。選挙は毎回民主党に入れろよ。公園で自転車に乗れよ。(後略)

ポール・オースター「ブルックリン・フォリーズ」(2005)

でもたまたま今夜、『大いなる幻影』、『自転車泥棒』、『大樹のうた』、と外国映画を立てつづけに三本観たあと、カーチャはいくつか鋭敏なコメントを口にし、映画製作をめぐるひとつの論を手短に展開して、私はその独創性と洞察力に感心したのである。

ポール・オースター「闇の中の男」(2008)

たとえば『自転車泥棒』の冒頭。主人公は職にありつくけど、自転車を質から出さないことには雇ってもらえない。

ポール・オースター「闇の中の男」(2008)

それから二人で階段を上がっていって、シーツを質に入れて自転車を質から出すというアイデアを妻が思いつく。

ポール・オースター「闇の中の男」(2008)

ガチャガチャ、シューッという音はなんだろうと彼は耳を澄ます。霧の中から、自転車に乗った男がこっちへやって来る。

ポール・オースター「闇の中の男」(2008)

しばらくすると、さらに何人も自転車に乗った人間が現われ、両方向に走っていくが、すみません、停まってくださいと頼み込むブリックには目もくれない。

ポール・オースター「闇の中の男」(2008)

アメリカのありきたりの大都会と唯一違うのは、乗用車、トラック、バスが一台も走っていないことだ。ほとんど全員が徒歩で移動していて、歩いていない者は自転車に乗っている。

ポール・オースター「闇の中の男」(2008)

早足で歩き、いくつもの群れを成す人波の横をすり抜け、ホッピングで跳びはねる男の子をよけ、ライフルを持った兵士四人が近づいてくるとしばし歩調を緩め、自転車が通りを走っていくカンカンという絶えまない音を聴いている。

ポール・オースター「闇の中の男」(2008)

自動車も自転車に替えたいところだが、通勤距離を考えるとさすがにそれはできない。

ポール・オースター「サンセット・パーク」(2010)

そんな彼が、ピラールの情緒的な過剰さ、燃え上がりやすさ、捨てられたテディベアや壊れた自転車や花瓶に挿さった萎れた花の像を前にしたときの涙もろさを目にして、だんだんと人生に戻ってきたのだ。

ポール・オースター「サンセット・パーク」(2010)

一方、小説ではなく回顧録となれば、もう少し解像度が上がる。「冬の日誌」(2012)では子供の頃は自転車で駆け回っていたことが分かり、その自転車がどのようなものであったかは「内面からの報告書」(2013)で描写されている。少年期の言及が多く、青年期にも自転車に乗っていたことが分かる。その後の壮年期や老年期はどうだったのだろう。

(前略)椅子に座り、ベッドに横になり、浜辺でのびのびと横たわり、田舎道を自転車で走り、森や牧場や砂漠を歩いて抜け、競走用トラックを走り、硬材の床の上で跳びはね、(後略)

ポール・オースター「冬の日誌」(2012)

寝かしつけてくれるのも、自転車の乗り方を教えてくれたのも、ピアノのレッスンを手助けしてくれたのも母だったし、君が悩みごとを打ちあける相手、海が荒れたとき君がしがみつく岩はやはり母だった。

ポール・オースター「冬の日誌」(2012)

(前略)この時期の君の記憶が、少年時代のさまざまな営み(友だちと駆け回る、自転車を乗り回す、学校に行く、スポーツをやる、切手や野球カードを集める、漫画を読む)におおむね限定されるとしても、いくつかの場面で君の母親はあざやかに登場する。

ポール・オースター「冬の日誌」(2012)

そのころの君の環境は次のとおり。世紀なかばのアメリカ、母親と父親、三輪車に自転車に手押し車、ラジオと白黒テレビ、マニュアルシフトの自動車、狭いアパートメント二軒を経て郊外の一軒家、(後略)

ポール・オースター「内面からの報告書」(2013)

六歳のときに買ってもらった、オレンジ色の、タイヤの太いフットブレーキの一台目の自転車に君はまだ乗っていて(翌年には体も大きくなったのに合わせてもっと大きな二台目に進級することになる──黒くほっそりした、ハンドブレーキに細いタイヤの自転車)、君は毎朝、もう小さすぎるその二輪車にまたがり、四、五百メートル離れた友人のピーター・Jの家まで漕いでいった。

ポール・オースター「内面からの報告書」(2013)

(前略)3:00に盲目のバレリーナがビーンズ、マカロニ、チリ、ホースラディッシュ、とバランスの取れた食事を出してくれます。3:04に食事を終え、自転車で公園を走りに家を出ます。5:03に帰って来て今一度机に向い、手紙関係を処理します。(後略)

ポール・オースター「内面からの報告書」(2013)

以上のように自転車との関わりは多くない。筆者も検索で見つかった箇所を覚えていなかった。電子書籍化されていない著作でも「最後の物たちの国で」(1987)の廃墟には自転車が似合いそうだし、「ティンブクトゥ」(1999)の忠犬は自転車と一緒に走ったかもしれない。記憶になくても、あった気がしてならず、幻を求めて探し回っている。それこそポール・オースターが描く主人公のように。

少年時代から思春期にかけて書いた小説も詩もすべて消滅し、幼年期から三十代なかばは写真も数枚しかなく、若いころやったこと言ったこと考えたことはほぼすべて忘れられ、覚えていることもたくさんあるにせよ覚えていないことの方がずっと、おそらく千倍くらい多い。

ポール・オースター「内面からの報告書」(2013)

RIP Paul Benjamin Auster (February 3, 1947 – April 30, 2024)

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