内田百閒「鬼苑乗物帖」

本書には36本の短い作品が収められており、それらの中でも「乗物雑記」と「轔轔の記」の2作品は、明治後期から昭和前期にかけての、都市の交通文化を見つめた著者による覚書きであり、乗り物批評でもある。

「乗物雑記」では、交通手段が便利になっていくことに反して、人々のほうが場所や用事に振り回されてしまい、「移動する」ではなく「移動せざるを得なくなる」ような本末転倒と不自由さを批評している。満員電車や交通事故のように今現在にも通じる都市交通の問題にもこの時代においてすでに言及されているのも興味深い。

内田百閒は鉄道好きでも知られる作家であるが、本書の中の言葉には様々な乗り物、交通手段に対する思いが溢れている。例えば次のような一節だ。

汽車が先にあって、後から用事が起こるのが普通である。歩いていくよりは汽車に乗った方が便利ではあるが、実際の場合は、汽車さへなければ大阪へ行く用事なんか起こらないであろう

乗物雑記

内田百閒らしい、というか、すこし偏屈にも感じられる書きぶりは、交通手段の機械化や急速な効率化に対するクリティカル(批評的)な言葉に読み取れるかもしれない。一方では、「目的なんかなくたって、汽車に乗って出かけていくのだ」という実践的態度の表明とも読み取れる。

交通機関の発達による逆転現象を踏まえて『交通機関の発達の極地はどこへも行かないと云ふ事でなければならぬ』という、インターネットの普及した世界感をも見据えたかのような言葉も見受けられる。そこには交通機関が無暗に発達してしまうことで、自分が大切にしていることが阻害されてほしくないという願いも含まれているように思われる。

本書には鉄道だけでなく、自動車や船などに関する作品もある。その中でも私が注目したのは、乗り物そのものではなく、乗り物が走る道路について描いている描写である。こうした描写から移動すること、乗り物に乗ること、その時間そのものを大切にしたいという筆者の願いは、乗り物のことだけでなく、乗り物が走ることによって生み出される風景を見ることなのではないかと思われてくる。

「轔轔の記」は、都市における交通手段として自動車が普及する前、人力車に注目した著者の観察眼を追体験できる文章になっている。とりわけ、車輪にゴム製タイヤが使われることが一般的になるかならないかの時分、鉄輪が大きな音を立てながら、舗装もなく段差の多い路面を走っていく様子は印象深い。郷里の岡山から東京に出向いた最初はその風景を驚いたように感じ、しかし時代の流れとともに、徐々に姿を消していった人力車稼業を懐かしんだりもする。

人力車の車夫が走るときに発する掛け声や、鉄輪の大きな音などは、ゴム製タイヤや自動車が発達することで路面から失われていった「都市の音」なのだと指摘する。

護謨輪になつてしまつた後から、鉄輪の事を考へると、大変な騒音を立てて、八釜しくて仕様がなかつた様にも思はれるが、その當時は何人もそんな風に感じなかつたと思ふ。八釜しいどころでなく、車※は景気のいい贅沢な乗り物であつたから、車輪の音を「轔轔と響く」と形容する事にもなるのである。

「轔轔の記」 (※原文の「車」は「にんべん」に「車」)

最後に、自転車が登場する「凸凹道」という作品にも触れておきたい。

路面そのものの状態、道路が未舗装で整地も不十分だった時代、岡山駅から汽車で旅立つ友の見送りにいくために、駅までの道を自転車を走らせていた。その途中、路面の窪みや起伏で自転車が大きく揺れたはずみで、自転車のライトが切れてしまった。とはいえ自転車についていたのはLED照明ではない。このころは提燈を自転車に付けてライトにしていたのだ。結局、この出来事もあって見送りには間に合わなかった。友人との別れを思い出すときに、その凸凹道の記憶が強く蘇るという。

文章で書かれた様々な乗り物が生き生きと読み手に伝わってくる。それは乗り物が実走している姿を観察するだけではなく、自分自身が乗って実走し、その情景を文章で再現したいという乗り物に向き合う真剣さの表れである。走れば音が鳴る。道は板の様に平らではない。走れば無数の起伏で揺れる。当たり前の言葉のようだが、実際に走って見なければ文章にはならない。乗り物と乗り物を走らせる道、いつまでもそれらの上に居続けたいという筆者の願いに感化されて、私も自転車で走りに行きたくなった。

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