[車輪の言葉、車輪の数] タイヤバブル1890

自転車の部品の中で、最も修理や交換の頻度が高いものといえば、タイヤではないだろうか。実際に自転車店からも、パンクの修理は売上収益の点でかなり効率のよい作業だ、という話を聞いたことがある。

長い車輪の歴史を見わたしてみると、車輪の構造や車輪の組み方は、時代を経ても大きな変化を起こしていないようにも感じる。それは中心にハブがあり、スポークで円周のリムとハブをつなぐ、そしてこの構造が地面上を回転することによって移動する。これ以上には仕組みの説明のしようがないぐらいに変わっていない。

そのような人と車輪の歴史のなかで、自転車ホイールの仕組みや技術に大きな更新が行われたのは、ホイールに「空気入りタイヤ」が加えられたことではないだろうか。これによって、路面と自転車との境界面に変化がおこり、現在の自転車の性能が確立されたきっかけと考えられるからだ。


1845年、スコットランドのR.W.トムソンが「空気入りタイヤ」を発明した。このとき彼は特許を申請、取得している。先発明主義に沿うならばこの時こそが、ロードバイクはもちろんのこと、今のあらゆる自転車に使われているタイヤにつながる技術が発明された時、ということになるだろう。

しかしながら、この発明が実用化されたり一般に普及することはなく、次第にこの特許は忘れ去られていってしまった。

R.W. THOMPSON’S ‘AERIAL WHEEL’ & PNEUMATIC TYRE PATENT

ONLINE BICYCLE MUSEUM

さてその後、1890年代の英国で、投資市場において自転車への投機熱が高まりその後10年程度にわたって自転車産業に関連する株式へと多くの資金が投じられる、という事態が発生した。その発端となったのは自転車技術の進歩であり、とくにタイヤに関するイノベーションも関係していた。

ではその時期のタイヤには、どのような技術進歩が起こっていたのだろうか。自転車関連銘柄が爆上がりするよりも10年ほど前の1878年ごろ、自転車のソリッドホイールにゴムタイヤが装着された。ただし、これより30年以上前には空気入りタイヤの発明は行われていたにもかかわらず、この時はベルト状のゴムをリムに巻きつけただけのホイールがつくられていた。

このことからも、タイヤ技術が発展していく中でもタイヤには空気を入れたり入れなかったりの試行錯誤、行きつ戻りつがあったのではないかとも推測される。タイヤ・イノベーションは本当にこの方向性でいいのだろうか?と、自転車乗りたちの戸惑いも感じとることができる。また、どの技術に「乗る」のがよいのかと、社会全体が相互に牽制をしていたのかもしれない。

そして自転車株が時代の寵児となる決定打になったと考えられるのは1888年、スコットランドのJ.B.ダンロップが、空気入りタイヤ特許を取得して、実用化された最初の空気入りの自転車タイヤの発明者となった、という出来事ではないか、と考えた。ここから問題の1890年代の幕が上がっていく。

ダンロップが自身の息子のための自転車用に、空気入りのタイヤを使ったというこの「発明」は、40年以上も前にトムソンによって発明され、特許が申請されていた技術と同じ内容であった。紆余曲折の末ダンロップの特許は後に無効であると宣言されたが、トムソンの特許も失効とされた。痛み分けである。

結果的には、先発明主義であっても先願主義であったとしても、トムソンよりも後発だったダンロップのイノベーションではあるが、この時代になって普及が進んだ自転車に使われることで、空気入りタイヤは実用化の日の目をみた。この流れに乗るようにして自転車産業への投資による資金流入が引き起こされ、それがさらなる自転車技術のブレークスルーを生んでいくことになる。この景気の最盛期には、当時の特許全体の15%を自転車関連の特許が占めていたという記録もあるそうだ。

誰が一番最初だったのか、そんな議論はよそにして、走り出した車輪は止まらなかった。

1888年、J.B.ダンロップに与えられた空気入りタイヤに関する特許状

ダンロップヒストリー 

2021年2月15日付のウォール・ストリート・ジャーナルのある記事に、米国の電気自動車(EV)メーカー、テスラの株価の高騰を巡る熱狂は、この1890年代に英国で起きた自転車株バブルが教訓になる、と書いてある。

この記事が言うには、『1890年代の自転車は今のEVのように技術が画期的に進歩し、利便性と環境性能に優れた輸送手段として注目されていた』。そして大注目された自転車産業銘柄は、1900年になるころには大暴落していた。これによって投資家はもちろん損をしたが、英国全体の市場はその「バブル崩壊」に大きく影響されることはなかった、といういきさつが紹介されている。

米国の経済新聞は、現代のEVが置かれている状況を100年前の自転車の状況になぞらえつつ、たとえ株式市場の株価があっというまに半値にまでなるようなバブル崩壊が起こったとしても、主力となる事業に何も変わりがなければ、株式市場にとってはさほど大きなダメージとはならないだろう、という教訓を読み取っている。テスラ株が高騰していても暴落しても、それ自体はさほど気にしなくてよろしい、ということだろう。

本記事ではこの経済新聞とは少し違う観点を読み取ってみたい。

100年前の自転車の車輪は、これからの移動手段によって世の中がどう変化するのだろう、という注目を生活からも株式市場からも集めていたのだ。今はまさに、電気自動車や自動車の自動運転技術などが注目を集めているわけだ。1890年代の金融市場の注目を集めつつもその後は注目銘柄ではなくなったが、自転車の車輪技術はその後どのような道をたどったのか、それを整理しておくことで2021年の今現在から見た車輪の未来を整理してみよう。


1890年ごろから盛り上がった投資市場での大騒ぎは過ぎ去り、その後もタイヤの発展は続いていく。タイヤバブル崩壊から10年ほどたって1912年、タイヤづくりにカーボンブラックが使用されるようになった。タイヤの素材となるゴムにカーボンを混ぜることによって、タイヤの耐久性は何倍にも増強された。そしてこの変化によって、タイヤの見た目が今見られるような黒色になった。

さらにタイヤの発展は続く。1920年ごろにかけてタイヤ繊維の織り方に「すだれ織り」が取り入れられ、これがタイヤの寿命を大幅に向上させた。タイヤバブルによって膨張した自転車への開発意欲は、そのバブルがパンクした後からも、事業としての本質を見失わず、より遠くまで、より安全に、より効率よく移動できるようにと、車輪の長い歴史の中では新参者であるタイヤに未来を託し続けた。その結果、タイヤの性能は何十倍にも膨れ上がっていき、今に至るのである。

21世紀となった今でも自転車乗りを悩ませるのはタイヤのパンクである。100年たっても、やれやれ、まだこれか、という気持ちも分かる。しかし良く考えてみれば、車輪自体1000年たっても2000年たっても作り方がそれほど変化しないものなのだから、もっともっと長い目で未来を見据えておいたほうがいいかもしれない。

現在、ニューヨーク株式市場やTOPIXを見ていても、自転車関連株が買われる要因はあまり見当たらないかもしれない。この100年で自動車が移動手段の主役になったのだから、投資は当然テスラのほうに集まっている。しかし、テスラにもどんなEVにも車輪がついており、タイヤが必要とされている。車輪は10年やそこらでは動かない。

100年前は株式市場での自転車バブルと時を同じくして始まったタイヤの進展が、その後モビリティの主役を占めていくことになる自動車の技術と文化とをけん引していく、その着火点であったとも読み取れる。同じ車輪で動くもの同士、無関係無関心ではいられないだろう。モビリティに向けた投機筋の目線の先には、自転車ホイールのさらなる未来が指し示されているかもしれない。


参考サイト

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