百年以上前に自転車キャンプツーリングを確立したトーマス・ホールディングが気になる

Michi MathiasによるThoms Hiram Holdingの肖像
(C) Michi Mathias

合理的思考の可能な自転車ユーザーがツーリングの際にわざわざキャンプをする理由といえば、経済的に困っているか、野蛮な気質が多く残り過ぎているかである。合理的に言えば、いずれについても恥じる必要はない。

トーマス・ハイラム・ホールディング (Thomas Hiram Holding, 1844-1930) の、ちょっと回りくどく、そして魅力的な言葉だ。今回は自転車キャンプツーリングの始祖といえる彼のことを簡単に紹介したい。

幌馬車、カヌー、自転車

The Camping and Caravanning ClubのClub Historyページによれば、同クラブの前身The Association of Cycle Campers(自転車キャンパー協会)を1901年に立ち上げたホールディングはロンドンの仕立屋で、9歳の時に幌馬車隊でアメリカ中部の大平原を横断する旅を経験しキャンプへの情熱を育んだ。大の自転車好きでもあり、1878年のThe Bicycle Touring Club(後のCyclists’ Touring Club)創設にも関わっている。

屋外でカヌーと簡素なテント、調理器具などに囲まれて座っているHoldingの写真
カヌー旅の途上のホールディング

ホールディングは様々なキャンプ旅の方法論を網羅的に記したThe Camper’s Handbookを1908年に出しているが、同様の主題を扱った著書としてはまず1886年のWatery Wanderings ‘mid Western Lochs(スコットランド西部の湖をめぐる水上放浪記)、そして1898年のCycle and Camp(アイルランド自転車キャンプ行)がある。彼はキャンプ泊による個人旅行のノウハウをカヌーで蓄積し、後にそれを自転車に応用したようだ。

Watery Wanderings ‘mid Western Lochsより、Fyne湖畔のキャンプ地の様子

セーフティー自転車が道を拓いた

Handbookに引用されたCycle and Campの一節によると、ホールディングは1882年頃から自転車キャンプ旅の構想を持っていたものの、当時のペニー・ファージング自転車(オーディナリー自転車)ではそれは実現不可能だった(1884年にペニー・ファージングで世界一周に出たトーマス・スティーブンスもキャンプ泊はほとんどしていないようである)。

前後輪が同等サイズでチェーン駆動のセーフティー自転車の登場は革命的な出来事だった。誰でも乗りやすい自転車の普及は1890年代に大衆の移動の自由の爆発的拡大をもたらし、女性史においても重要なターニングポイントとなった。そしてそれは自転車キャンプツーリングの成立にも大きく関わっていたのだ。前掲のCycle and Campの記述には、1897年7月に友人から自転車キャンプをやりたいと相談を受けてテントやバッグ類を設計した、一緒に試みた初のキャンツーは見事に成功、とある。

1885年にデビューしたJohn Kemp Starley作のセーフティー自転車(英Science Museum Group Collectionより)

Handbookの同じページには「サイクル・キャンピングは昨今(訳注: 1908年頃)ずいぶん一般的になり、その人気たるや参加人口でいえば他のあらゆる種類のキャンプ旅を圧倒する勢いである」と書かれているから、個人のキャンプといえば自転車キャンツー、という状況が100年ちょっと前に生じていたらしい。これはパーソナル・モビリティーとしての自転車が社会の様々な領域を席巻した証拠でもあり、ホールディングらの共有したノウハウが優れていたことの表れでもあるだろう。

会の成り立ち=ホールディングらの自転車キャンツーを紹介したThe Camping and Caravanning Clubの動画

旅する自由をより多くの人に

実際、ホールディングがHandbookで示しているキャンプ装備は現代のバイクパッキングの基準に照らしても十分に軽量・ミニマルで、例えばそこには日本産シルクを用いた約326グラムの自作テント(本体のみ)などもある。「バイクパッキング」は原義では旅の行為そのもののことでありラックの使用・不使用を問わないが(このあたりはCycle Journal Tetanuraeの記事「資料でたどるバイクパッキングの歴史と未来」で論じた)、彼はラック不要の各種バッグ類を設計し、またラックとパニアバッグによる低重心化の効用にも言及している。

Cycle and Campより、キャンプ装備を「全て積載」した自転車の写真

ホールディングの発信する情報の充実度は実に驚くべきものだ。現代とのスペック比較や再現実験など、掘り下げてみたいテーマがいくつも頭に浮かぶ。けれども何よりダイレクトに胸を打つのは、より多くの人と自由を分かち合おうとする彼の姿勢である。冒頭に置いた「恥じる必要はない」との言葉にもそれは表れているし、Handbookに引かれたCycle and Campの一節(前掲箇所の続き)でも、最初の自転車キャンプの成功について彼はこう述べている。

これではっきりした。貧しい従業員や労働者でも、国内外のまだ見ぬ土地を訪ねたいと思っているなら、週ごとにポケットマネーから費用を出してその空想を現実のものにし、素晴しい休日を過ごすことができる。天候にも、距離にも、そしてホテルの宿泊費という旅を妨げる関税にも縛られずに。

もっと知りたい

現状オンラインで誰でも閲覧できるホールディングの自転車関係の著書はThe Camper’s Handbookだけだが、なぜか大部分のイラストや写真がスキャン対象から外されており、オリジナルの紙版はCycle and Campと共に希少本になっている(日本各地の大学図書館にも蔵書されていないようだ)。このため、しっかりしたホールディング研究は今後の課題としたい。なおMichi Mathiasさんという方がCycle and Campを元にした精緻なグラフィックノベルTwo Shillings a Dayを製作中で、このプロジェクトのパトロンを募集している(月額3ドル50セント)。筆者はパトロンになり、最初の12ページを読ませてもらった。いつか完成した本の日本語版も作れたらいいな。

MichiさんがTwo Shillings a Dayの最初の12ページをチラ見せしている動画

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