[ESSAY] 貸自転車ショートストーリー (4)

1995年東京・大田区の池上本門寺で、「自転車供養の会」が催された。大量に廃棄処分される放置車の冥福を祈る会であった。

80年代に発生した大量の放置車問題は、育成途上にあった都市レンタサイクルに多大な影響を与えることになった……。

━話は1970年代に遡る。

そのころ、米国のケン・コロスバンが提唱した「バイコロジー運動」が日本にも伝えられた。

汚染も出さず健康にもよい自転車を、環境対策に活かそうという発想は高度成長期に入った社会に受け入れられ、自転車需要は飛躍的に増大していく。

政府は71年、単距離交通手段としての自転車の効用を再評価、安全利用と自転車道路・駐輪場整備の方針を「自転車基本法」として制定、全国的に推進した。

━これにより、レンタサイクルは観光レジャー用から、都市交通用に広がり、「レンタサイクル」という言葉は和製英語ながら日本語として広く使用された。もはや「貸自転車」は死語と化していた。

ところが、都市交通にレンタサイクルはそぐわないとの意見が出て、「コミュニティサイクル」という新語が造られた。

国交省の刊行物では、「明確な定義はないが……」と前置きして、この2つの言葉を比較している。

「レンタサイクルは鉄道駅等に隣接して設置された一つのサイクルポートを中心に、往復の線的利用を基本とした交通システム」

「コミュニティサイクルは、相互に利用可能な複数のサイクルポートに対して、面的な移動をサポートする交通システム」

━80年ごろから、自治体が主導して補助金を出し、民営企業がコミュニティサイクルを有料で運営する実験が始まった。

だが、使用料だけでは採算がとれない。ほぼすべての事業体で赤字が続き、補助金打ち切りとともに縮小中止に追い込まれていた。

━さらに大問題が発生した。台湾・韓国輸入車や国内の「商業型メーカー」(問屋車ともいう)の廉価車が、折から新流通チャネルとして勢力を増したスーパー・ホームセンターの安売りにより、爆発的に販売された。

この廉価車が駅前などで大量の放置・廃棄・盗難車を生んだ。

自治体は放置車回収と処分に力を注ぎ、多くの予算がつぎ込まれた。もはやコミュニティサイクルどころではなかった。

まさに都市レンタサイクルの前途は多難であった……。

溢れんばかりの駅前大量放置車(80年代阪急荘内駅)
自治体は放置車回収に大わらわ
自転車供養式(1995年東京池上本門寺)
自転車供養式(1995年東京池上本門寺)

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