現実の荒野を駆ける空想の自転車たち

自転車の元祖は、1817年にドイツのカール・フォン・ドライス男爵が発明したドライジーネ。これが世間の定説。ただし、広く世に認められていないものの、江戸時代の自転車など異説は少なからずある。さらに空想や伝説、あるいは悪戯や詐欺のような事例もある。そもそも自転車とは何ぞやという定義の問題もある。身近なようで近代に至るまで登場しなかった自転車。その異端史を少し紐解いてみる。

魯班の伝説自転車

ドライジーネは200年前だが、なんと2,500年前に中国で自転車が発明されたと言う。これは高さが2メートル以上もある巨大な木製の三輪車で、ペダルと歯車による駆動部やハンドルを持つ。しかし、中国の知人によると、この自転車の考案者、魯班(Lu Ban)は中国古代の伝説的な発明者だが、文献等は一切残っておらず、すべては伝承に過ぎないそうだ。写真のような復元の根拠も示されていないと言う。

ダ・ビンチの悪戯自転車

マドリッドの国立図書館で発見されたレオナルド・ダ・ビンチ(Leonardo da Vinci)の手稿、その裏に自転車のスケッチが残されていた。15世紀末ながら、クランクとギアを結ぶチェーンまで備えるモダンさ。だが、その余りにも稚拙な素描は、天才ダ・ビンチの足元にも及ばない。弟子の模写という解釈も唱えられたが、1960年代の修復時に描き加えられた後世の悪戯というのが定説だ。

セント・ジャイルズ教会の天使自転車

イギリスのストーク・ポージスにあるセント・ジャイルズ教会には、1541年に制作されたステンドグラスがあり、車輪のついた乗り物にまたがる天使が描かれている。これは自転車に見えなくもないが、建物からせり出した滑車のようにも見える。当時の関連する伝承はないので、偶然の産物ではないだろうか。後世の認知的不協和が、枯れ尾花を幽霊と見なしたに違いない。

シブラックの架空自転車

ドライジーネに先立つ1790年、フランスではシブラック伯爵(C. de Sivrac)がセレリフェール(célérifère)を制作。今日のバランス・バイクに似ているが、前輪が固定されていてハンドルがない。これでは進行方向が変えらず、すぐに転倒してしまう。自転車に乗った経験がない人が、貧弱な想像力で自転車を捏造したかのようだ。今日ではシブラックすら架空の人物とされている。

空想自転車の存在意義

これらの自転車は現物や検証された文献がない。2000年前に建立されたインドの寺院のレリーフのように、いかにも眉唾な事例や、17世紀の多才な科学者ロバート・フック(Robert Hooke)によるベロシペードの発明のように、伝聞だけの事例もある。これらは空想の産物と思われるが、その否定は悪魔の証明になってしまう。むしろ、いかに想像の翼を広げるかを競うくらいであって欲しい。

歴史の連続性としての自転車

一方で、ドライジーネは現物が残っており、ドイツやフランスなどで特許が受理されている。さらに、その機構はベロシペードやペニー・ファージングへと受け継がれて、今日の自転車へと発展している。つまり、後世に続く歴史的な連続性こそが、ドライジーネを自転車の起源たらしめているのだろう。公開すること、記録すること、継承することの重要性を教えてくれる。

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