デュシャンの車輪に始まる

マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)の「自転車の車輪」(Bicycle Wheel/Roue de bicyclette, 1913)は、その名の通り、丸いスツール(腰掛け椅子)に逆さ向きに取り付けた自転車の車輪だ。スツール、フロント・フォーク、ホイールと作品を構成する要素は、いずれも日常的な既製品に他ならない。車輪からはタイヤとチューブは外され、フォークはスツールにボルトで固定されている。

Marcel Duchamp-Bicycle Wheel, New York, 1951 (third version, after lost original of 1913), MoMA
Bicycle Wheel by Marcel Duchamp, New York, 1951 (third version, after lost original of 1913), MoMA

この作品は最初のレディ・メイドとも最初のキネティック・アートとも呼ばれている。レディ・メイドは既製品をそのまま、あるいは多少手を加えて作品とする手法、キネティック・アートは何らかの動きを伴う作品を言う。従来の美術では作家が丹精込めて作り上げた唯一無二の作品が尊ばれ、絵画にしろ彫刻にしろ動きのない作品が当然であったので、この作品はそれまでの常識を打ち破ったわけだ。

マックス・マシューズらによる世界初の人工歌唱曲「二人乗りの自転車」がそうであったように、ここでも世界初の美術作品が自転車をモチーフにしている。しかも二人乗りの自転車が一般的でないように、デュシャンの自転車もまた普通に乗れる代物ではない。初めての試みにおける特別な自転車。これは偶然の一致かもしれないが、それでも数少ない符牒として自転車アートの曙光になっている。

レディ・メイドとキネティック・アートのダブル世界初という極めて重要な作品だが、デュシャンにとっては気晴らしの、作品とも呼べない作品であったらしい。事実オリジナルはアトリエの片隅の置かれ、程なく紛失(廃棄?)している。レディ・メイドとして有名な「泉」は、展覧会で騒動を引き起こす戦略的作品であったが、「自転車の車輪」が気晴らしであれば、その意図を探るのは深読みかもしれない。

もっとも、デュシャンはこの作品をしばらくアトリエに置いていたので、気に入るところがあったはずだ。時には車輪を回して、その回転する様子と音を楽しんだのだろう。そして、デュシャンは自転車に乗っていたのだろうか? 自転車に乗る少年時代の写真は残されているが、大人のそれは未見だ。自転車という本来の運動性を喪失することなく作品を作り得るのか、デュシャン100年後の課題のように思える。

photo credit: © 2000 Succession Marcel Duchamp ARS, N.Y./ADAGP, Paris.
© 2000 Succession Marcel Duchamp ARS, N.Y./ADAGP, Paris.

【追記】デュシャンの「自転車の車輪」を、現代の自転車を用いてリメイクした「リ・サイクルの車輪」を制作した。ただし、本稿で問うた「本来の運動性を喪失することなく作品を作り得るのか」には、僅かにしか応えられていない。(2018.09.21)

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