自転車と放蕩娘 (19) オペラ歌手三浦環の自転車通学

前回の記事で紹介した、女性初の自転車世界一周を成し遂げたアニー・コーエン・コチョプスキー。彼女が日本を訪れた明治28年(1895年)3月、新聞各紙がその様子を伝えている。3月2日付けの『東京朝日新聞』の記事からは、東京での自転車流行とともに女性の一人旅に対する好奇の眼差しを窺い知ることができる。

自転車乗りの流行は独り東京のみならず目下欧米にても亦大流行となり貴女に至るまで意気揚々自転車に乗りて競争するの勢いとなりたりとのことなるが茲に奇を好む亜米利加の一婦人は自転車乗りの世界周遊を企てたり其名をミツス、アンニ、ソントンデーリイという此婦人は大胆にも一人の同行者なく単独にて昨年の九月廿四日シカゴ市を発しクリヴレンド、ブーハロ、ロチェスター等を経て紐育府に出で同府より汽船にて仏蘭西ボルドーに渡り同所より又自転車にて仏蘭西南部地方を経伊太利希臘土耳古波斯を乗り廻して印度カリクツタに至り同所より汽船にて日本に渡り日本より桑港に渡航し同所よりシカゴに帰る予定にて周遊期日を十一ヶ月とし本年五月桑港に着し八月頃シカゴに帰るべしといへば予期の如く妨害なく乗り廻したらんには本邦に到着するも近きにあるべし単騎旅行徒歩漫遊の人はありたれども自転車周遊はミツスアンニを以て嚆矢とす其一婦人なるに至りては一層珍奇なり今後風船飛行にても企つる人あらば亦妙なるべし

「自転車乗り婦人の世界周遊」『東京朝日新聞』(明治28年3月2日)

その5年後、東京音楽学校へ入学したばかりの女性が「自転車美人」と騒がれたのも想像に難くない。その女学生こそが、後に「マダム・バタフライ」で国際デビューを果たすオペラ歌手の三浦環であった。NHK連続テレビ小説『エール』で柴咲コウが演じた双浦環のモデルとなった人物でもある。

三浦環(1884-1946)

三浦環の自伝には、当時自転車に乗っていたのは彼女の他、後に女性初の小学校校長、参議院議員となった木内キヤウ(1884-1964)だったと記されている。同自伝には、新聞に取材されてからは見物や付け文をする学生が後を絶たなかったこと、そうかと思えば「女のくせに生意気だ、闇の夜を気をつけろ」という脅し文句を袂に投げ入れた学生や、通せんぼして環を困らせた二歳年下の餓鬼大将、山田耕筰らのエピソードが残されている(三浦環『お蝶夫人』青空文庫、二二 自転車美人のころ)。海老茶の袴姿に自転車というハイカラな出で立ちは、『読売新聞』に連載された小杉天外の小説『魔風恋風』(1903年2月-9月)の主人公のモデルにもなり、一世を風靡したという。ちなみに、この小説の主人公は帝大生と恋に落ちる堕落した女性として描かれるが、環の通学といえば、芝区西久保桜川町(現・港区虎ノ門一丁目)の自宅から上野まで、約8.5kmの道のり。車種は定かではないが、英国製の赤い自転車。言うまでもなく、当時の自転車は高級品だが、ブレーキなし、固定ギアでの坂道や悪路の走行には、芯の強さが垣間見えるのだ。

前列中央が17歳の三浦(柴田)環、1900年
(吉本明光『三浦環のお蝶夫人』音楽之友社1955、原典は右文社1947)

明らかに、自転車に乗る女性の表象は両義的に揺れ動いていた。紙屋牧子の論文「「自転車に乗る女」のメディア表象:三浦環から原節子へ」『演劇研究』第36号(2012)によれば、1930年代半ば頃まで、自転車は上流階級の進歩的な女性あるいは花柳界などの限られた女性のみが乗っており、そうした姿は「はしたない」と冷笑される一方で、スペクタキュラーな存在として享受されていたという。明治から昭和にかけてのメディア表象の変遷を追う緻密な論考、詳しくはぜひ紙屋の論文を参照いただきたい。

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