Onahama Rideの翌日はツール・ド・フクイチ(筆者による造語)に出かけた。2018年、2023年に続いて3回目となる。今回は単独行動であったので、全行程の自転車移動は避けることにした。何しろ7月から8月にかけて連日40℃前後の猛暑だ。避難区域の近くで熱中症で倒れれば、人知れず干からびてしまう。今年のスローガンは快楽原則なので、まったく冗談にもならない。
クルマ
そこで日中はクルマで移動し、要所要所を自転車で走ることにする。手配したトヨタの7人乗りシエンタは自転車のハンドルを曲げて載せなければならないのが残念。内燃機関の騒音や前世紀のユーザ・インターフェースに閉口しながらも、クーラーの恩恵にあずかる。外気はジリジリと上がり、40℃に近づいていく。エンジンの熱量と気温上昇の関係は見て見ぬふり。
楢葉町
いわき市から広野市に入り、国道6号線を北上して楢葉町のJビレッジまで約20分。この間の20km弱を前回は自転車で1時間ほどかかっている。海岸では人々が海水浴やサーフィンに興じている。さらに20kmほど北に行けばフクイチだ。その後も多少ルートは違ってはいても、以前に走り抜けたことを思い出す場面がいくつもあり、胸が締め付けられる。2年以上経過したとは思えないからかもしれない。
富岡町
フクイチの手前、富岡町で最後に避難区域が解除された夜の森公園を自転車で走る。桜の名所にちなんで、路上にピンク色の矢羽が整備されている。これは苦笑して良いのだろうか。少し早いランチは最近オープンしたとみおかワイナリーで。緑あふれる葡萄畑と綺麗なレストラン。葡萄ジュースを頼むと、当地産ではありませんと断りを入れる誠実さが好印象。
大熊町
次いでフクイチを内包する大熊町となると避難区域にほとんど変化がない。JR大熊駅前にはクマSUNテラスやCREVAおおくまとダジャレたネーミングの立派な施設が作られている。しかし、僅かにしか人の行き来がない。かつての人口(11,505人)に対して現在の居住者(1,052人)は1割弱、帰還者(321人)となると3%未満だ(2025年7月末の資料)。眩しいばかりの陽光に寒々とした光景が広がる。
双葉町
同じくフクイチに隣接する双葉町にも大きな変化がない。具体的な数値は未確認ながら、双葉町の移住・定住情報サイトには「震災前に7000人を誇った人口は2025年4月現在で居住者180人ほど」との記述があるので、より厳しい状況のようだ。一年以上前に整備されたJR双葉駅前に駅西住宅86戸は、落ち着いた雰囲気ながら、少し離れると廃屋と荒地ばかり。自転車で走っていても心苦しくなる。
浪江町
北側の浪江町の大半は避難区域であるものの、浪江駅周辺は人通りもあり活気が感じられる。2018年のツアーでのフクイチ最接近地点でもあった。請戸漁港の仮設展望台はすでに撤去された一方で、福島県復興祈念公園が建設中で古墳のような丘が姿を表している。再建された真新しい苕野神社や生々しい震災の記憶が残る請戸小学校などを訪ねながら、海岸近くの荒涼とした一帯を自転車で走る。
避難区域
2年ほど前から変化がないことは出発前から感じていた。ARアプリ「この地に咲く花の境界線」のために避難区域の地理情報を更新しようしたところ、ほぼ変化がなかったからだ。放射能除去をしても、まだ住めない地域が広くあるわけだ。そもそも原子炉に残る核燃料デブリ推定880トンに対して、取り出せたのは0.9グラム。10億円の借金に例えれば、僅か1円返済したに過ぎない。途方もない無力感に襲われる。
箱モノ復興
つまるところ、避難指示が解除された区域に箱モノ行政が施設を整え始めた段階だろうか。周囲の殺伐とした状況を考えれば、簡単に人が戻るとは考えにくい。それだけにツール・ド・フクイチに続く人が増えて欲しい。クルマで東日本大震災・原子力災害伝承館に乗り付けるだけでも意義があるに違いない。そこには「原子力明るい未来のエネルギー」(建具の一部と看板のレプリカ)があるのだから。

(東日本大震災・原子力災害伝承館の展示)





