山の中

作品発表の都合で、自宅のある神奈川県と山梨県を何度も行き来する日々が続いた。県庁所在地の甲府はすり鉢状の盆地であり、周囲を見渡せばまだ雪を被った山々がぐるりと街を囲んでいる。 ワタクシ志村翔太は山梨県にルーツを持つ(実際、山梨には志村姓の方が多い)ため、元々この土地には強い縁を感じていた。しかし、改めて何日も滞在し、地元の人々と同じ目線で生活してみると、ここが完全なる「車社会」であり、街中で自転車の姿をほとんど見かけないことに気がつく。

国道沿いには「山岡家」の看板など、ロードサイド特有の風景が続く。かつて自転車という乗り物は、個人の自由な往来を可能にし、人々を土地の縛りから解放する一助を担った。しかし、この山間の街においては、自動車が普及するまで、人々が生まれた場所から遠くへ移動することは容易ではなかったのだろう。 もしも世界中が真っ平らだったら、人口と都市はより広く均一に広がり、道路・鉄道・送電・通信などのインフラははるかに整備しやすくなる。その代わり、どこまでも碁盤の目の道路や放射状・環状の交通網が続き、同じ規格の住宅地や工業地帯が無限に広がる、のっぺりとした世界になっていたかもしれない。そんな空想が頭をよぎる。

展示の搬出に合わせ、僕は家族が運転する自動車に乗って「上九一色村(かみくいしきむら)」へと向かった。 かつてオウム真理教の施設「サティアン」が所在したことで、不本意な形で全国に名を知られたこの村に、僕の祖父が生まれ育った家がある。過去に自動車を2回廃車にし、運転を自主規制している僕にとっては、車でしか行けないこの場所を訪れる機会にはこれまでなかなか恵まれなかった。

富士山の麓。甲府の中心部から急な斜面を登り、いくつものトンネルを潜り抜けていく。公共交通機関による都市部との結びつきは極めて弱く、山間部の曲がりくねった車道を自転車で走るのは自殺行為に近い。 道中、山と森に遮られたこの地形を見て「宗教施設が世間から身を隠すには、これ以上ないほど閉ざされた場所だ」という印象を抱いた。富士山という巨大な霊峰に護られた山間の土地だからか、戦時中も空襲とは無縁だったと聞く。

父の曖昧な記憶を頼りに、祖父の生家を探す。 山梨側と静岡側を繋ぐ車道の両脇に集落が点在しているのだが、そこを乗用車や大型車が凄まじいスピードで駆け抜けていく。歩道と呼べるようなスペースも道幅も極端に狭い。仮にここまで自転車で登ってこられたとしても、とてもサイクリングなど楽しめる環境ではない。

聞き込み調査が功を奏し、運良く親戚と出会うことができた。話を聞くと、平日はダンプカーが頻繁に往来し、歩くことすら危険だという。その親戚のおばさんは「ここに10年住んでいるけれど、1kmくらい先にあるパン屋に徒歩で行ったのはたったの1度きり」と笑いながら話した。 本来、人が自分の足で「出歩く」ことは当たり前の権利のはずだ。それが自動車という巨大な鉄の塊によって、自転車のみならず歩行者の自由さえも侵害されている現実に、僕は静かな怒りを覚えた。

しかし、親戚との会話の中で「60代はまだまだ若い人たちだから」という言葉が出たとき、ハッとした。超高齢化が進むこの集落では、地理的環境に加え、歩くのが危険だからこそ、皮肉にも移動を自動車に依存せざるを得ないという深い社会課題がある。 最先端のテクノロジーである「自動運転」を本当に急いで導入すべきなのは、整備された都市部などではなく、こうした山間部の限界集落なのではないだろうか。

かつての上九一色村は広大で、人が足を踏み入れることのない深い森林をそのまま行政区域として抱え込んでいた。平成の大合併により村は消滅し、北半分は甲府市、南半分は富士河口湖町へと分割編入された。
オウムの「サティアン」があったのは、甲府市側の街の中心(といっても派出所と交番、温泉施設がある程度の小さな広場)から車でさらに30分ほど離れた、本栖湖の近く(現在の富士河口湖町側)である。道中、何度か気合の入ったサイクリストを見かけたが、坂はあまりに急で、自転車でここを訪れる必然性はやはり感じられない。

かつて「サティアン」が建ち並んでいた場所は、現在は公園として整備されている。しかし、それは名ばかりで、遊具も何もない、ただの物寂しい更地だった。そこにはオウムの「オ」の字も、当時の建物の跡形も一切残っていない。 彼らが引き起こした凄惨な事件は決して許されるものではなく、悍ましい記憶だ。だからこそ、物理的な痕跡は跡形もなく消し去られ、歴史の闇へと静かに葬り去られていくのだろう。

訪れたその日が春のお彼岸の最終日だったからか、ひっそりと立つ慰霊碑には新しい花が手向けられ、封の開いたタバコが供えられていた。わざわざこの僻地まで足を運び、死者を悼んだのは一体どんな人物だったのか。見知らぬ誰かの背中に思いを馳せる。

少しスピリチュアルな話になってしまうが、僕は土地の「気」や相性を肌で感じやすい性質だ。この更地に足を踏み入れてからというもの、ずっと首筋を誰かに冷たく撫でられているような悪寒が止まらなかった。10分ほどで精神的な限界を迎え、退散することにした。霊感の強い父に至っては、最初から車から降りることさえ嫌がったほどだ。

公園からは巨大な富士山がそびえ立つ様子が見える。不気味な歴史の記憶をすべて覆い隠すような、あまりにも雄大で圧倒的な絶景に、思わず息を呑む。 まだ冬の気配が残る冷たい風が吹き抜けたとき、近くの牧場から獣特有の生々しい匂いが漂ってきた。人間の業の深さと、それを意に介さない大自然の営みが、この地でずっと交差しているのだと感じた。

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA