地元でチャリに乗る

長旅や2025年内全ての作品発表を終えて、近頃はすっかり生まれ育った神奈川県川崎市に拠点を移し、文化庁メディア芸術クリエイター育成事業に採択されたので2月に開催する個展の準備を進めている。地元で制作した作品を個展で発表予定だ。

僕が住んでいる川崎市はチャリ乗りながら喫煙しているようなヤンキーもいるし何より神奈川県警が管轄している愛すべき土地ではあるが、メディア芸術にお金を出すような風土でもないので、こういう機会でもないと地元で制作と発表が出来ない。例えば都内で開催した方がお客さんが来やすいのだろうけど、いつだって自分にとって真に必要で、自分にとって一番意味のあることだけをしてしまう。あまり利口に生きていないのだ。スティーブ・ジョブズではないが「人生最後の一日だったら何をするか」というクエッションを常に自分に投げかけ続けている。

地元で毎日のように自転車に乗るのは、小学生の頃以来となる。生活の拠点はこれまでも川崎にあったものの(今も子供部屋おじさんと化している)、武蔵小杉をはじめとする再開発のおかげで交通の便が改善され、移動はもっぱら電車やバスになっていた。自転車に乗るのは、子どもの頃から応援している川崎フロンターレの試合を観に行くときぐらいで、都市の生活圏で自転車を使うのは「中・長距離の近所に用があるとき」に限られるのだと改めて思い知らされる。

小学生の頃は家の前の県道を真っ直ぐ進めばどこへ辿り着くのか想像するだけでとにかくワクワクした。未知の道の先に未知の世界があると信じていた。大人になった今は、どこへ行っても結局自分からは逃れられないし、大抵どこも同じようなショッピングモールが並んでいることを知っている。

ある日、自転車に乗って真っ直ぐ真っ直ぐペダルを漕ぎ続けたことを覚えている。小学校を越えて、学区の境界にあった同級生の家の前を通り過ぎ、知らない街へ踏み入れる。家に帰ることができるのだろうかという不安を感じながらも前へ前へ進む。17時の鐘が鳴ってべそをかきながら来た道を引き返す。

これが、自転車にまつわる唯一の古い記憶だった。僕は秋が来ても30年近く住んでいる家の前に銀杏の木があったことすらしっかり記憶していないし、数年前まで金木犀の香りも分からなかったくらい季節に鈍感でいる。

作品の制作は自転車から路面にテキストをプロジェクションする関係で夜間に限られる。ここ数日は真夜中に自宅から這い出て、公園で機材をセッティングし、商店街や近所の道路をサイクリングしている。映り込みを避けるために撮影はJRの終電が終わった後に行うので必然的に遅くなる。コロナ禍の頃も、しばしば夜に近所を徘徊していた。密を避けるためではなく、当時の自分には内省する時間と少しの運動が必要だったのだ。

今は真夜中に自転車を漕いでいても、全然ナイーブな気持ちになれない。立ち直り方を覚えてしまったからだ。心底絶望して、夜道で意味の分からないことを叫んでいた頃が懐かしい。目の前の事象ひとつひとつに全力で向き合い、本気で傷ついていた時期が確かにあった。

家の近くには県境を兼ねる大きな川があり、橋から飛び降りてしまう人も時々いる。子どもの頃は幽霊の目撃談があったり、老朽化のせいで渡るたびに橋が揺れて怖かったりして、ほとんど近づかなかった。橋を渡って、自分のインナーワールドの外側へ行くことはなかった。「進撃の巨人」を初めて読んだときの衝撃や、村上春樹が繰り返し描く「壁」というモチーフへの共感は、おそらくこの体験や記憶とつながっている。僕にとって境界のメタファーは常に川と橋であり、「こちら側」と「あちら側」は橋でつながっていても、いまだに大きく世界観が異なる。ポケモン金銀でいえば、カントー地方とジョウト地方くらい違う。

先日、MIKOSHI RIDERの発表が東京都墨田区であったため、実家のママチャリを人力でスカイツリーまで運んだ。その際、この橋を渡り、国道一号線をひたすら進んだ。川沿いの地域へ自転車で行くことは何度もあったが、その先へ行くのは初めてだった。ヒューマンスケールのモビリティである自転車で、かつて電車で通っていた場所や、思い出と結びついた土地を通過していくのは新鮮で、とても楽しかった。電車やバスや飛行機での移動も好きだが、どこか生活から虚構(あるいは物語)へワープしてしまうような感覚がある。他者が動かす乗り物によって行っていた場所へ自分の身体だけで辿り着いたことで、そこがフィクショナルな空間ではないと自分に言い聞かせることができた。

何となく取り止めのない話になってしまったが、近頃はこういう日常の中で、子どもの頃には分からなかった「場所と場所の距離」を身体的に捉え直し、場所に付随する意味を更新している。

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