自転車と放蕩娘 (最終回)「自分がまだ生きていることを自分で確認するためのライド」未来編

前回、大岩オスカールの作品を論じたことで、この連載をひと区切りしようと考えるようになった。というのも、次の課題が見えてきたからだ。 ジェンダーについて考えながら行き当たったのは、「当事者性を中心に据えずに、どのような語り

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