前回、大岩オスカールの作品を論じたことで、この連載をひと区切りしようと考えるようになった。というのも、次の課題が見えてきたからだ。 ジェンダーについて考えながら行き当たったのは、「当事者性を中心に据えずに、どのような語り
Read more自転車と放蕩娘 (26) オラファー・エリアソン《あなたの新しい自転車》(2009)
女性と自転車を切り口に始めたこの連載では、女性の作り手/乗り手にフォーカスすることもあれば、作品などに登場する自転車に乗る女性の表象を扱うこともある。いずれにしても、明確に女性が関わっていることがわかる場合が多いが、時折
Read more「自転車のある情景」展 @ 徳島近代美術館
徳島近代美術館で特別展「自転車のある情景」が開催中だ。英語タイトルはArt Scene with Bicycle、「その誕生から現代まで、自転車にまつわる絵画やポスター、そして歴代の名車が集結」し、「さまざまな時代と場所
Read more自転車と放蕩娘 (24) フランシス・ベーコンが見た「自転車レース」
渋谷区立松濤美術館で開催されていた画家、フランシス・ベーコン(1909-92)の展覧会が閉幕した。今回の展示の目玉となっていた「Xアルバム」と呼ばれるドローイングの中に、「自転車選手の写真上のドローイング」2点が含まれて
Read more自転車と放蕩娘 (23) ライドから考えるアートとジェンダー
梅雨の晴れ間、久しぶりにロードバイクに乗ってみた。と言っても、野暮用で近所を走る程度でしかなかったが。それでも、行き先ではなく乗ること自体を目的に、走り出しからスピードに乗るまでの風を切る音やブレーキをかける感覚を味わう
Read more自転車と放蕩娘 (22) 公共圏としてのジェンダー
自転車に乗るようになり、思いがけず克服したことがある。ライドをしながら撮影されることに対する恐怖心だ。画像や映像が拡散され、容易に特定される現在、無防備な状態を晒すなんてもってのほかと思うむきもあるだろう。女性であればな
Read more自転車と放蕩娘 (17) 久保田成子《デュシャンピアナ:自転車の車輪》
2021年の3月から新潟県立近代美術館で開催される「Viva Video! 久保田成子展」の情報が公開された。久保田成子(1937-2015)は、ニューヨークを拠点に活躍したヴィデオ・アーティスト。1970年代に映像と立
Read more自転車と放蕩娘 (15) ヘレン・ケラーとタンデム自転車
「寛容は精神の大いなる賜物。それは、自転車でバランスをとるのと同じように、脳の努力を必要とします。」とは、ヘレン・ケラーの言葉だ。 ヘレン・ケラーは一歳八ヶ月のときに患った病気のために盲聾となり、六歳から始まった家庭教師
Read more自転車と放蕩娘 (11) マドリン・ギンズが語る「天命反転」
1日の気温差が激しい4月のライドでは、天気予報やルートをもとに服装の調節を意識する。今回目指したのは養老山(三方山)だ。ハイキングの気温の変化にも注意を払い、晴れた日の早朝、片道2時間半ほどかけて一人出かけた。 Goog
Read more自転車と放蕩娘 (10) 自律分散型社会のための思考訓練
この週末、新型コロナウイルスのオーバーシュート(爆発的患者急増)を避けるため、首都圏5都県をはじめ福島、茨城、富山、島根など計13県が外出自粛要請や東京方面への移動の自粛を呼びかけている。私も出張をとりやめ、天候を見計ら
Read more自転車と放蕩娘 (9) 自転車の「模型」パナマレンコの芸術
昨年12月14日、ベルギーの芸術家パナマレンコ(Panamarenko)が79歳の生涯を閉じた。今回は、移動と自由を旨としたパナマレンコの作品の中から、自転車をモチーフとした作品を論じてみようと思う。 1940年にアント
Read more自転車と放蕩娘 (7) サイクリングがもたらす公共圏
私にとってクリティカル・サイクリングは、サイクリングを共通言語に、ユーザーの視点から新たな表現者像を考えるための起点となっている。サイクリングを通じて感じ、考え、つくり、批評し、提案し、楽しみを享受する点では皆等しくユー
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